教行証文類のこころ/第三日目-1
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- 教行証文類のこころ
往相の回向について真実の教行信証あり、と。称名・・。(讃題)
おはようございます。(おはようございます)
真実の教行信証ありと、これから現わされていく内容を、あらかじめ提示されておるわけでございます。昨日まで本願力回向の二種の相として往相/還相という事がある。その往相の回向に、真実の教行信証があるといわれた中で、特に本願力回向を中心にしながらお話をしてきたんですが、今日は、その内容である真実の教・行・信・証ということを簡単にお話をしていきたいと思います。
教という事ですが、これは昨日申しましたように、教というものは、真実の教といわれるのは『大経』であると、こう言われてます。真実の教が『大経』だというのであって、したがって、真実でない教というものがあるんですね。この場合、教というのは、聖人下にかむらしめる言葉、というふうに定義されていますように、聖者が、ここではお釈迦さまがお説きになったお言葉、そのお釈迦さまがお説きになったお言葉の中で、真実の教といわれるものが「大経」だと言われてるんですから、したがってこの場合(釈尊の説かれた経典)には真実でない教がある。それを方便とよんでおります。
真実なるもの、その真実教は方便教に対しているんですね。真実教、方便教、これはどちらも仏陀の説法の中で分けていくわけでございます。真実というのはどういうことかと言いますと、仏の随自意ですね。仏が自らの本意を現した、自らの心に随って仏の本意を顕わされた。その仏の本意を本意の教えを、これを真実教と言います。
(板書 林遊記憶なし)
真実教ーー随自意ーー仏の心に随って説いた。仏の御本意。
方便教ーー随他意ーー他の心に随って説いた。仏の不本意
随自意、随他意という言葉で真実と方便ということを分けるのは法然聖人です。勿論、天台宗でも、その他の仏教でも一般的に使われているんですが、浄土教の中で随自意、随他意という言葉で真実と方便を分けたのは法然聖人の「選択集」ですね。
「選択集」の念仏付属章というのがございまして、そこに「随他の前にはしばらく定散の門を開くと雖も、随自の後には還りて定散の門を閉づ」(1273)。
定善・散善というような自力の法門というものは、他の心に随って、つまり、未だ未熟な者、仏の本意を直ちに受け取る事が出来ない未熟な者を教育して、仏の本意が理解できるところまで育てていく。そういう教育的手段として定善・散善というような自力法門が説かれたんだと、随他の前にはしばらく定散の門を開く、と雖も、随自の後には、随時というのは自らの心に随って説くということですね。随自の後には還りて定散の門を閉じる。その方便の教えというものを閉じる、とこう仰っているんですね。
「一たび開きて以後永くぢざるは、唯是念仏の一門なり」と仰って、念仏の法義、定善・散善という自力の法門に対して、他力の念仏の法門というものは仏の随自意、自らの本意に随って説かれたものだ。
したがって、この随自意の法門は、一たび開きて長く閉じることはない。これは仏の本意を現わしているんですから決して閉じることはない。
「随他の前にはしばらく定散の門を開くと雖も、随自の後には還りて定散の門を閉づ。一たび開きて以後永く閉ぢざるは、唯是念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意此に在り」。
こういうふうに随自意・随他意ということで、真実と方便とを分けていくわけですね。
これは仏教の中で分けるわけですね。この方便の教えとはどういうものかということを親鸞聖人が展開されるのが化身土文類です。その化身土文類の中のですね。方便の法門として、真門と要門とそして、聖道門と、こういうものを開いて明かされているわけですね。要門章、真門章、そして、方便法として聖道門を明かしているわけです。
この中の真門というのは第二十願の法義ですね。これは経典で言いますと、「阿弥陀経」の顕説です。「阿弥陀経」と「観経」には隠顕があると、親鸞聖人は仰るんですね。顕というのは顕わに説かれている法義、穏というのは隠れたかたちで説かれている。隠れたかたちという、それが見える人と、見えない人がありますわね。
「阿弥陀経」は、阿弥陀さまの本願の第二十願の自力念仏の法門というものを開説したものだ、と見られたんですね。つまりこれは自力念仏の法義、自力の念仏往生の法義、これを真門とよぶ。
それに対して、要門というのは第十九願を開説したのでそれは「観経」である、と見られているんですね。これは諸行往生ですね。自力の諸行往生の法門を要門とよぶ。
そして聖道門ですね。聖道門というのは、この土で覚りを開くことを目指す法門ですね。此土入聖、この土において覚りを目指す法門を聖道門とよんでいる。
真実の教といわれるのは第十八願の法義であって、その第十八願の法義を開説した『大無量寿経』の法義、他力念仏の法門のことでございます。
こういうふうに分けて、真実教とその真実教の内容を表わすのは、教・行・信・証、そして真仏土という、『教行証文類』の全五巻の法義ですね。
それから方便の教えというのを明かすのが、いま申しました化身土文類の本巻です。化身土文類の末巻にはですね、邪偽を、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡という言葉で始まっていますので、邪偽の教え、それを説いていくのが化身土文類の末巻の方です。
ただしこれは、随分複雑な説き方がされておりますんで、よほど注意をしなければなりません。
そこで親鸞聖人の教えというものは、真実の教えと、方便の教えと、邪偽の教えと分けるんですね。宗教の中に、真実の宗教と、そして方便の宗教と、そして邪偽の宗教と、こういうものを分けていく。真と仮と偽という三種の枠組みで、あらゆる宗教現象というものを網羅していくわけです。
で、その邪偽の宗教とは何かというと、これは真実に背くものなんです。真実に背反したもの。真実に背反しているという事は煩悩ですね。煩悩を肯定し、その煩悩を助長しようとする宗教。煩悩を助長するような宗教、これを邪偽の宗教とよんでいるわけなんですね。
いうならば、煩悩を肯定し助長するために神さんであるとか、そういうものを設定していく、そういう宗教を親鸞聖人は邪偽と言われたわけです。したがって邪偽の宗教というものは煩悩を肯定していくわけですね。肯定するばかりか、その煩悩を超越者の力によって助長し満足させようとする宗教、これは邪偽の宗教だ。真実に背いたものであるというんですね。その真実に背いたものから、真実の宗教へと私達を導いていく。そういう体系でもって、仏教というものが説かれているんだ、と親鸞聖人はご覧になるわけですね。
その邪偽の宗教から真実の宗教へ転換させる為に説かれたものが、これが聖道門だ、とこう見ていらっしゃる。したがって聖道門とは頭から人間の煩悩というものを、無明煩悩というものを完全に否定していきますね。邪偽を否定する、邪偽の否定というものが聖道門の役割なんです。ところで、よく嘘も方便とかいうことを言いますが、嘘と方便とは全然違います。嘘というのは真実に背くものですね。方便とは、その真実に背く邪偽から真実へと導いていくものなんです。だから方便は嘘ではありません。方便が嘘だったら方便じゃない、ということですね。方便としての意味を持たない。
ですから全体として仏教、仏陀の教えというものは、これは邪偽を否定して、そして真実に引き入れようとするところにあるということで、親鸞聖人は、この聖道門というものを、邪偽の宗教から真実の宗教へと転換させる転換点として、仏陀が設定されたものだと、こういうふうに位置づけられるわけです。
こういうふうに仏教というものをその機能によって、位置づけをしていくわけなんですね。これが『教行証文類』に現わされている、非常に動的な、躍動的な仏教観なんですね。
聖道門というものはどういうものかといいますと、まず煩悩を許さない。つまり、無明煩悩を断ち切る。そして、真実をはっきりと現わしていく、これが聖道門なんですね。ですから、聖道門の教えはつまらん教えなんじゃない、素晴らしい教えなんですね。煩悩を断ち切るにはどうしたらいいのか。一朝一夕にいけるわけではないんですから、自分の生活全体がそういう方向を持たなければなりませんから、そのためにはまず戒律を保つ。
衣食住の三に対する執着を離れるということですね。食う事と、着る事と、そして住む事と、衣食住の三に対する執着を離れる。これがまず第一でございますね。だから出家をするわけです。聖道門というのはもちろん出家仏教でございます、基本的には出家仏教ですね。
一日に食事は一食、それも、人の食べ残した残りものを頂いて、それを昼までに頂戴する。お昼までに頂けなければその日は食べない。そういう最低限の生活をする。ですから原則として、お仏飯は午前中に上げるというのはそれなんですね。正午過ぎたら一切食べない。牛乳も駄目、牛乳も食事の中ですから駄目。午後、口に入れていいのは水だけです。ただし水を飲むときにも水の中には微生物がおりますから、それを飲まないようにします。それは、汚いから飲まないのじゃなくて、殺すから飲まないんですね。その為に漉し布を持っていまして、布で漉して微生物はちゃんと元へ返すようにして水だけを頂く。こういうことをするわけですね。そして、明日のために一握りの塩も残すな、今日の命は今日で終わってしまえ、明日の事なんて考える必要はない。こういうのがまず出家の掟(戒)でございます。一日一日いのちは頂戴して、そして一日一日終わっていくわけですから、今日の命は今日で終わる、明日の事は考えるなということですね。そらそうでしょうなぁ、鶏だって明日のことは考えへんのやから・・。
そういうことで、衣食住の三を捨てる。食はそういうことですが、着るものは下衣(したぎ)と上衣と中衣、熱いときは一枚のサリーですね、薄い一枚のサリーを羽織る。寒くなりますと二枚三枚と重ねますけれども。結構寒期になりますと北の方へ行きますと寒いですからね。冬になると三枚を重ねますが、それ以上は持たない。この三衣、下衣と上衣と中衣、ようするに広い布です。この布は原則として人が捨てた布を拾ってきて、継ぎ合わすわけですね。いわゆる糞掃衣といわれるものでございます。糞掃衣というのは死体置き場へ行きますと死体をくるんだ布が落ちている。その死体をくるんだ布は誰も欲しがりません。その捨てたものを拾ってきて、綺麗に洗って繕りあわせて一枚の布にして、それを身に纏うわけですね。それが着物でございます。
住まいは、樹下石上、あるいは岩陰とか木陰でやすみます。横になって寝るということはしません。座ったまま寝ます。座ったまま座禅くみましてサリーを纏って朝までねます。お釈迦さまでも(横になるのは)亡くなる時だけですね。病気をしたときなどには横になって寝ますけども、それ以外は座ったまま寝ます。岩陰とか木陰でやすみますから、家は持たない。お金は一文も持っちゃいけない。具足金剛法戒というのがあって、びた一文金持っちゃいけないことになっております。だから泥棒の心配はないと(笑)。
そういうことが、衣食住に対する執着を捨てる。そして、命は一日一日、その命だけで終わっていく、そういうかたちの生活をする。これが戒律の基礎ですね。それを行なうためにいろんな規約が設けられているわけです。
結婚しちゃいけないというのもね。何故結婚しちゃいけないというと、結婚したら子供が産まれる。子供が産まれたら養育する責任がある。子供産んでおいて養育しないというのは無責任という事ですね。子供を養育するためには、衣食住の三がどうしても大事になってきますよね。だから出家というものは勝手にしてもらっては困るんですよ。養育の責任あるものがそれを捨てるには単なる責任放棄ですからね、許さない。出家は許しません。だから出家する時にはね、きち~っと、あっこんな事言うとったら・・。もうやめとこ。
とにかく、聖道門というのは一切の欲望を、我欲を捨て、そして怒りを捨て、そして憎み腹立ち妬み嫉む、そういう煩悩をすっかりと心から除去していく。そういう心のけがれ、いわゆる煩悩ですね、煩悩というのは心の汚れです。この心の汚れをきれいに無くしていくということが、邪偽の宗教を徹底的に否定していく。これは、論理として否定するんじゃない、生活をあげてそれを否定するんです。
邪偽の宗教たってね、それは自分自身の中にあるんです。煩悩を満足させる為に何でも利用したろというでしょ。何でも利用しようとする心、それがあるから邪偽の宗教が出てくるんですから、邪偽の宗教が悪いんじゃなくて、そいつを作り出していく煩悩が一番悪いんですから、そいつを無くしていかにゃならんですね。
出来上がった宗教の教団を否定したってそんなもんしゃあない。それを作り上げていく人間の心というものを改造しなけりゃならん。それが聖道門ですね。だから徹底して否定します。そこには一点の妥協も許さない。
この聖道門の修行を、例えば日本で言いますとね。その道を真っ直ぐに行こうとした人が栂尾の明恵上人高弁という人がいますね。これは実に清潔な人ですね。あの人ね、男前だったんですよね。すごく男前だったんですが、美しい人だと言われることを嫌がりまして自分の顔を焼け火箸で焼いてしまおうとしたんですね。ところがそれはいかんという注意を受けまして、焼くの止めますけど結局自分の耳を切ってしまいますね。こっちの耳を自分で切ってしまいます。だ~っと血が噴き出すのをじっと押さえながら、耳無し法師と自分で言っておりますね。自分の耳を断ち切って、俺は普通の人間の仲間入りはしないというわけでね。人間の仲間入りをしないという標(しるし)に自分の耳を切ってしまう、恐ろしいことをやる人なんですよね。
そして、実に厳しい生活をしていきます。日本で本格的に戒律を保って生きていこうとした、そしてそれを自分自身に身に付けていこうとした人ってのは明恵上人でしょうな。
寝た間も修行はやめません。寝た間も修行止めないちゅうたらどないなるんじゃちゅうたら、夢を見るでしょうが。その夢を克明に記すことによって自分の心の中を知り、そして心の奥底を知り、そしてそれを浄化しようとするんですね。彼は若いときから夢の記というのを書き続けている。栂尾へ行きますとね、彼の夢の記が残っておりますが、とにかく四六時中修行しているんです。
樹上で、木の股になったところで座禅している姿が描かれていますが(*)、本当にやったんですね。木の上で座禅して、あんなん居眠りしたら落ちますよ、落ちて怪我しますよ。
だから居眠りしないように木の上で座禅をやった人です。まさに日本で本格的に聖道門の修行をやった方ですね。しかし日本では難しいだろうなぁ。だからしょちゅう山ん中へ籠もってしまって出てこないという事をやるわけですね。そういうふうにして自分自身と格闘し、自分の煩悩を浄化していく、それが至上命令ですからね。これは絶対、最後まで仏教である限りは、邪偽の宗教に対して徹底的にやり抜いていくわけですね。
で、この道を通って浄土真宗というのは出てくるんですね。初めから人間は煩悩があるからしゃぁないねん、などということは許されない事なんです。絶対許されない事なんですね。
この頃、真宗が衰えたと言われますが、真宗が衰えたんじゃなくて聖道門が衰えたんだろうな。否定的に媒介すべき聖道門が衰えた為に、今度はその媒介項が無くなってしまいますとこっちもややこしくなってしまうんですね。もう一度内部で再生産せにゃいけないことになってくるんですね、これは。これからの真宗というもの、聖道門無き真宗というものは、聖道門無き真宗と言うとえらい悪いけどね。あの本来の此土入聖を目指した、あの本来の聖道門がないというと、真宗は一つ間違うと邪道に墜ちてしまいますよ。邪教に墜ちてしまうんです。非常に危険なものなんですね。だからここでは(邪教・聖道の対判)、きちっと歯止めをきかしているわけです。この聖道門の歯止めというのはすごく大事なものなんですね。
これで(聖道門)方向性という事がきちっと決まる。ところが実際聖道門の修行をしていきますと必ず行き詰まる。自分の煩悩と格闘しながら、そこで行き詰まってしまう。先程言いました栂尾の明恵上人が、法然聖人の「選択集」を徹底的に批判いたしまして、お前は畜生か、とまで言っているんですね。お前は畜生だという恐ろしい言葉を吐いてね、法然聖人を批判しているんですね。邪道であり邪祠邪教であり、そしてお前は畜生か、とそんなことまで「摧邪輪」の中で言っているわけです。何故かというと菩提心を撥無した、菩提心が無くてもいいと言った。菩提心のない仏法なんてあるか。
菩提心というのは覚りを開こうとしている、菩提を求める心じゃないか。その、菩提を求める心なくしてどこに仏教があるか。菩提心無くてもただ念仏だけすればお浄土へ行けるなんて、そんな馬鹿な仏教はあるわけがない。あるいは戒律を保たなくてもお念仏さえ申せばお浄土へ行けるんだと、戒律を否定してどこに仏教があるかと言うてですね、強烈な批判をするわけですね。お前は仏教を破壊する悪魔であるとまで言ってしまうんです。
ところがね、あんたね、お前は本当に菩提心を発したのかと(明恵上人に)言いますとね。彼はこう言うんです。非常に自分自身を内省している人ですからね。私もね、本当の意味での菩提心は発きない。けれども私は菩提心を発そうとして日夜努めているんだ。お前はそれを初めから止めてしまっている。それがけしからんとこう言ってるんですよ。発せないないとこ一緒やないかと言うたら、ほんなこと言うたらあかんのやな。そこが難しいとこやねん。
ところがね、法然聖人や親鸞聖人はね、自力の大菩提心が起せないことを恥ずかしいことだと仰っている。恥ずべし痛むべしと仰っています。あの恥ずべし痛むべしという言葉が出て来なければ真宗じゃない。当たり前だと思ったらそこには真宗はない。いやむしろ邪道にもう一度逆転してしまったことになる。法然聖人も愚痴の法然房、十悪の法然房、破壊無慚な法然房、まことに恥ずかしい者でございます、と法然聖人は仰っている。あの恥ずかしい者でございますと言うのは、聖道門の規格がぴしっと心の中にあるからですね。そして、そこで邪道へ邪教へ逆転するという事がないという、心の中にきちっと方向性が決められているわけです。聖道門というのは意味あるんですよね、これが無くなったら浄土教というのは・・。実は浄土教というのはそれを前提にしています。戒律が前提になって戒律が保てない。あるいは、その戒律を保つこともできない、せっかく戒律を受けても戒律を破ってしまう。そういう自分を浅ましき事として、申し訳ないこととして感ずる心が、如来の大悲を仰ぐ心に転換していくわけですね。これがなかったら仏教じゃなくなる、という事ですね。
親鸞聖人は、ただ聖道門を否定したんじゃないんですよ。もしただ否定しているんだったら何故あの『教行証文類』の中に、「華厳経」、あるいは「涅槃経」、あるいは「維摩経」、あるいは「不空羂索観音経」(不空羂索神変真言経)、様々な経典がそこに引用されてですね、あるいは「大集経」というような経典が引用されています。あれは聖道の経典やないかというと、聖道の経典じゃない、あれは浄土門の内容なんだ。『大無量寿経』の内容として一代仏教を全部包摂している、これが親鸞聖人なんですね。だから親鸞聖人の教えは凄くスケールが大きいんだということ。ただその否定したとこだけ見て、じゃ捨てればいいのか。捨てりゃいいんじゃないんです。捨てるには捨てるだけの決意がいるし、捨てるには捨てるだけの、その覚語がいる。『教行証文類』が現わそうとしている内容をよく見てみますと、非常に厳しいものが説かれているということが解ります。
さ、とにかく、その聖道門では行き詰まりがやってくる。非常に深遠な、そして、どう考えても真っ当な、これが真実の生き方だ、というのはあるけれども、その真実の生き方に実際に現実に背いている自分というものが見えてくる。そこから一つ間違えば邪道に墜ちてしまう。邪教に墜ちてしまう。しかし、その邪教に落ちることはもう許されない。聖道門の洗礼を受けた限り、仏法の洗礼を受けた限り、もう邪道へ落ちることは出来ない。
しかし煩悩を持て余してしまう。その煩悩を持て余した中で、死ぬるまで煩悩具足の凡夫でしかないありえない者は一体どうしたらいいのか、という問題が出てきて、その死ぬまで煩悩具足の凡夫でしかあり得ない者を救うて浄土へ生まれさせて、そして、お浄土で覚りを完成させようという宗教があるんだ、という事を言ったのが浄土門であり、それがまず最初、要門ですね。
その聖道門の行き詰まりを通して、その聖道門の修行を、そのままこの土で覚りを開くことはできないが、浄土において覚りを開かして頂こう。そこから浄土願生というものが生まれてくる。聖道門の行者が浄土願生の行者になる。そこには理想主義的には、理想的には自分自身の煩悩を浄化しなければならないが、現実の自分は煩悩にどっぷり浸かったままの自己である。その事が見えてくれば見えてくるほどですね、死ぬまで煩悩具足の凡夫でしかあり得ないという事の悲しさを通して、浄土を願生しようというものが出てくる。これが要門といわれるものなんですね。そこでは今まで修行してきた修行が、そのまま浄土願生の行として、浄土を目指していく行としての意味を、浄土を目指す意味を与えていく。そこに要門というものが出てくる。
諸行というのは聖道門の修行でございます。その聖道門の修行を通して浄土を願生しようという方向性が生まれる。そこには一つの挫折がある。その挫折というのはこの世で生きている限りは煩悩を起こし続けるしかない。その意味では、この土で覚りを完成することが出来ないという挫折感をとおして浄土願生というのが出てくる。
浄土教というのは、何らかの形で自己自身に対する挫折感というものがなければ、浄土教というのは成立しません。挫折感のない浄土教なんてあり得ない。
私は何処まででも伸びていくんだ、などと考えているのは聖道門的発想であって、それは本気でやれば明恵のような強烈な理想主義を生きていく。そういう人もいますよね。しかし、彼もどこかで挫折しているんですね。挫折しながら、しかし、その中で聖道門の教えの中でそれを包んでいこうとしております。実際それは信仰としては、彼の信仰としてはそれは出来上がります。けど、彼は最後には、念仏ですね。ただし釈迦念仏です、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と唱える、あるいは南無同体異体一体三宝(南無同相別相住持仏法僧三宝)、三宝念仏ですね。念仏、念法、念僧、三宝念仏。南無同体異体一体三宝と書いてですね、それを本尊として三宝念仏を始めていきます。皆ああいうかたちになるんですね。そして、死んでもこの修行を続けて行こうというのを彼は現わしていきますけど、どうもあそこから、やはり要門というのが出てきますね。
法然聖人や親鸞聖人を弾圧いたしました、あの笠置の貞慶。この人が「興福寺奏状」を書いた、その興福寺奏状が承元の法難の思想的な裏付けになったものなんですね。
親鸞聖人が、興福寺の学徒が、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す(471)、と言われているのは興福寺奏状を指しているんですが、あの興福寺奏状を書いた笠置の解脱上人貞慶もやっぱりそうですね。如実の菩提心を発してこの土において覚りを極める目途だけでも立てたいと思ったんだけど、結局駄目だったんですね。
亡くなる一月程前に、彼は弟子達に法語を語っているんですね。それは「観心為清浄円明事」(*)という名前ですが、漢文で書かれた法語が残っておりますが、それを見ますと、私は一生涯、清浄菩提心、清らかな菩提心を発そうとして努めてきたけれども、結局は如実の菩提心を発すことは出来なかったと言うんですね。これは如実の菩提心を発したらね、生死を超えるんです。覚り開くんです。そうでしょ、衆生無辺誓願度といいますね。一切の衆生を済度しようというでしょ、一切の衆生を済度しようという人間が死んでどないすんねん。生きとし生ける全てのものを救うていこうという人間がね、一人も救えないまま死んでいってどないすんねん。だから一切衆生を済度しようという心を発した人は死なない。俺は永遠に死なない、という、そういう境地に到達しなければ駄目ですよ。そうでなかったら本当に誓ったことにはなりませんよ。
そうでしょ。衆生無辺誓願度、わしらも言いますわな。衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断って歌、唱いますけど、わし唱ったら音痴になるさけ止めとくけど。
そういう歌があります。あんなん自分のことと思てますせんから平気で唱ていますけどね。
あの言葉。一切の衆生と連帯しよう、一切の衆生の上に俺は生き続けるんだ。そういう誓いが本気で発った瞬間に、私は一切の衆生と連帯している。一切の衆生が私である。自己の中に一切衆生を見、一切衆生の上に自己を見る人間に、死んだや生まれたやということはありません。生死は完全に超えられます。
だから初めて発心した時、即ち正覚を成ずる、とお経に説いてある。初発心時 便成正覚というのが華厳経の有名な信満成佛といわれる思想なんです。実は親鸞聖人はそれを『教行証文類』の中にぴしっと引用してくるんですね。あの信満成佛をいったところにね。
ですから本当に菩提心を発したらその瞬間に覚りが開ける。ところが彼(解脱上人貞慶)は、そこまでの菩提心は発きない。口先で、衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断と言うているけど本気にその心が発きない。それが彼の生涯の問題だったんですね。
若い時分にですね、どうしても本当の菩提心がおきないので、色んな人に聞いた。これは教えに欠陥があるのか、それとも私に欠陥があるのか、どっちに欠陥があるのかと聞いたけれども、誰も教えてくれる者はなかったというんです。
ないはずだ。それを教えてくれる者は一人だけしかいなかった。その一人だけを彼は敵にまわした。その一人が法然聖人です。この問いに答えてくれる人は、法然聖人しかいないんですよ。法然聖人というのは、その問題を抱えて、そしてそれを転換したところに法然聖人の宗教が出るんですからね。彼には法然聖人は見えなかった、ということですね。
大体ね、下から上は見えないんだ。上から下はよお見えるんだけどな。
彼(貞慶)はどう言ったかというとね。最後はね、もう死ぬ一月前ですからね。病床に横たわっている、もはや山の中へ籠もって修行するどころじゃない。もう寝ているんですからね。笠置の解脱上人貞慶は最後は、私は、この上はお念仏を申して、つまり南無阿弥陀仏を唱えて、臨終来迎を期するしかない。念仏を申し、戒律を保ってお念仏を申し続けるならば、阿弥陀さまは臨終に迎えに来てくださると観経に説いてある。そうすると私には、念仏申し続けるならば臨終正念に住して、そして阿弥陀仏の来迎を感得するはずだ。
その阿弥陀さまの光明赫奕として輝くお姿を拝見した時、その喜びの心と同時に無上菩提心が発り。<心が浄化されてね、仏様の光を見ることは、如来様の光を見ることは煩悩が浄化されることです。>その瞬間に煩悩が浄化されて、私の心に如実の菩提心が発るであろう。それを目指すしかない、と彼は言うているんですね。
そうしますと、彼は一生涯修行と学問を通して、最後はお念仏を申して、そして、臨終正念を祈り続けて終わっていったわけですね。これが要門なんです。
御開山は、そういう真剣な生き方、ど真剣な生き方を、修行者の生き方を、目の当りに見ているわけなんですよ。要門というのはそういう真剣な修行者の前に現われる宗教なんですね。だから、諸行往生。
けれども気の毒なことに、そこには救いの確証というものは、生きている間に得る事はできない。命、終わった時に臨終の来迎を感得して、そして往生しようというんだけど、その来迎が確実であるということが誰にも言い切れない。そこに一抹の不安があり続ける。死ぬまで不安を抱えながら、しかしまっしぐらに仏道の完成を求めながら一抹の不安を感じながら生きていく。そういう姿の中に、なお救われざる姿、というものを親鸞聖人は見たわけですね。
そこからですね、要門。聖道門から要門へ、そして諸行から念仏へと阿弥陀仏の浄土を目指す人間は、当然、阿弥陀仏のみ名を称えていく、念仏一つにず~っと集約されていくようになるわけですね。そして、そこからお念仏を称えて、そのお念仏の功徳によって阿弥陀さまの浄土へ生まれていこうと、こういうことを目指す、そういう一点に集約してしまう。これが真門ですね。
真門念仏というのは、ただ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶとお念仏を続け、そして、そのお念仏の功徳によって臨終来迎を感得し浄土に往生しよう、というのが真門自力念仏といわれるものですね。しかし、最後までお念仏を称えるというのは大変な事なんですよ、口で言うのは簡単だけどね。わしぁ死んだことないからよお知らんけれども、昔から金儲けと死に病には易いこと無い、と言いますけど、結構しんどい話ですね。
法然聖人には師匠は、少なくともこの念仏に関する限り直接の師匠はなかった。二十年余り叡空上人につきますけども、彼の念仏では法然聖人は救われなかったんですからね。したがって叡空上人も本当の意味では師匠ではない。六百年前の善導大師のお聖教によって、心、開かれた、それが法然聖人ですね。だから偏に善導一師によると仰るんですね。善導大師は六百年前の人ですよ。目の当りに善知識に遇うということはなかった人なんだ。
その法然聖人が一人だけですね。素晴らしい人に出会うんですね。これが遊蓮房という方ですね。遊蓮房円照という人です。聖覚法印や今言いました笠置の解脱上人貞慶から言いますと伯父(叔父)さんにあたる方ですね。聖覚法印も笠置の解脱上人貞慶もどちらも遊蓮房の甥でございます。この遊蓮房円照は法然聖人より年は六つ下だったんですね。これが念仏一行を専修する専修念仏者になるわけです。法然聖人が四十五歳の時、遊蓮房は三十九歳の若さで亡くなるんです。
実は法然聖人が後にお住まいになる、東山吉水の草庵はこの遊蓮房円照から譲られた草庵なんですね。広谷別所にあったのを法然聖人が譲られて、それを移築したのが吉水の草庵なんですが、あれを譲ってくれた。そして自分は胸を病んでいましてね、結核を患っておりまして、善峰の方に隠遁をしましてそこで亡くなる。
その亡くなる最後はですね、最後まで念仏を続けるんですよ。その最期の時にね、なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶと九度(ここのたび)称えるんですね。そこで力尽きるんです。そこで臨終の導師を勤めたられた法然聖人がね、さぁもう一声申しなさい、とこう言う。そうすると最後の力を振り絞って、南無阿弥陀仏と称えて息引き取ったんですね。これは大変有名な話なんで、ほんまなんですよ。臨終十念といいますけどそんな簡単に出来るもんじゃないんですよ。あの遊蓮房円照でも最後の一声がなかなか出なかったというんですね。しかし法然聖人はね、晩年、私の今生の思い出は、浄土の教えに遇えた事、つまり善導大師のみ教えに遇えた事と、遊蓮房に遇えたことが私の今生の思い出である、とこう言われる。それほど法然聖人に大きな影響を及ぼしたのが遊蓮房円照、年は六つ下です。しかも三十九歳の若さで死んでいる。けどね専修念仏、念仏一行というものがね、実に豊かに人生を荘厳していくということを法然聖人は彼を通して確認したんですね。
これは法然聖人の大きな支えになるわけです。さぁそれがどの程度の念仏であったのか分かりませんが、しかし渾身の力を込めて最後の一念を称え、そして十念具足して浄土に往生するというような、そういうことをやってのける。二十願でしょうなあ、御開山から言えば。尊い姿だけれども、なお彼には本当のとこは未だ解ってない、というとこがあったんだろうね。
それがもう一つ転換しまして、この第十八願の他力念仏に入る。この他力の念仏というのは私が称えている念仏じゃない。如来が私の上にあってはたらく念仏なんだ。一声一声お念仏を申している。その一声一声の念仏に如来の顕現を仰いでいるわけですね。
如来、我にあってはたらきたもう、それがお念仏だ。こう味わっていかれた、これが本願力、本願力回向の念仏なんですね。本願力回向というのは、本願力回向が念仏となって私の上にあって実を結び、私の上に花開いていく。そういう姿として念仏を味わっていく、こういうのを他力の念仏。だから称えるとか称えないとかいう自分のはたらきに眼をつけない。なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶつと、お念仏が一声一声に出てくださる。このお念仏の上に如来のはたらき、私を救いつつある仏様のはたらきを味わっていく。そのことを感得する心が信心ですね。
こういう世界が真実の行信、つまり第十八願の行信はこれなんだ、ということを親鸞聖人はこれから展開するんですね。それを現わしたのが真実の教といわれる『大無量寿経』なんだ。「観経」の念仏、あるいは「阿弥陀経」の念仏とは違う。『大無量寿経』の念仏は、阿弥陀仏の本願力が私の上に実を結んでいる。それがお念仏だ、と頂いた。
だから念仏しているけど、救われるやら救われんやら分からんという、そんな不義理な念仏は親鸞聖人の念仏じゃない、ということですね。不義理な念仏ちゅうたらおかしいけどね。
念仏を申す身に育て上げて私を浄土へ連れて行こうとしている。それが阿弥陀仏の本願力でしょ。だったら念仏していることは阿弥陀仏の本願力が私の上で躍動している姿じゃないか。念仏させた力と、お浄土へ連れて行く力は同じ力だ。茄子(なすび)の花開かせたあの力が、茄子の実を実らせる力なんですよ。
あの茄子の花ちゅうのは徒花(あだばな)がないそうでんな。親の意見と茄子の花は千に一つの徒はないと言う。
そうしますと花咲かせた、念仏の花を咲かせたあの力が、私を浄土の実りにあらしめてくれる力なんだから、念仏していることが、私が阿弥陀さまの本願力の真っ只中に包まれてある姿ですわな。そういう事を感得する、それを信とよぶわけでしょ。だから行と信とは絶対離れない。行のない信なんてものはないし、信のない行なんてものはないんですよ。
これが親鸞聖人の行信なんです。それを現わすのが「大無量寿経」だと、こういうことなんですね。その「大無量寿経」に真実の教というものを見た。そして、そこまで私を導くためにお釈迦さまは様々に手だてを設けて、私の心を育て続けて、邪偽から真実へと私を導いて下さった。
だから、たとえば蓮如上人が方便をわろしというのはいかんぞ、とこう言われています(聞書p1286)。方便を悪しというのはいかん、方便は有り難いと言え、と言われています。これはその通りですね。私を、導き育てて下さった、その仏様のお手立てのご恩を感謝するという事がなければね。ただし、方便のところに止まってはいけない。
階段ちゅうのはね、二階へ上がるために階段があるんです。階段の途中で止まったらいかん。あそこで昼寝したらいかん、やはりちゃんと上まであがらにゃ。
階段ってのは、なんですな、一階から二階へ上がっているんですか、二階から一階へ下りて来ているんですか。あれは一階の延長なんですか、二階の延長なんですか。二階が一階へ延長して来ているのか、一階が二階へ上がっているんですか、どっちや思いなはる。
しかしねぁ、二階がなければ階段なんてあり得ないんだからな。階段だけあって上ってみたら二階がなかった、んなあほな(笑)。
二階があるから階段があるんなら、階段というのは二階の延長なんですよ。二階が一階まで降りて来たんですね。そして一階におる者を二階まで上げていくんでしょう。
真実が、邪偽の泥にまみれている者を引き上げる為に、真実が邪偽の所まで降りてきて、そして私達を真実へと導いていく。これが方便のはたらきなんですからね。
方便だって先ほど言いました十九願、二十願と申しましたが、実は十九願というのは聖道門の延長戦ですから。
そうしますと、阿弥陀仏の本願が、邪偽の煩悩の真っ只中に埋没している私を導くために降りてきて下さった。それが方便の教えなら方便の教えはありがたい。しかし、方便の教えが有り難い、と判れば真実の教えに転入になければ申し訳ない、ということになってきますね。
そこで、真実の教というのは、随自意。仏様が一番説きたかったのはこれだ。しかし相手を導くために相手の心に応じて、そして、順次それを育てていく法門として方便の教えというものが建てられた。それは何処を目指しているかというと、邪偽の世界に踞(うずくま)っている者を、真実の世界へと導き上げて行くために設けられた方便のみ教えなんだ、という事を化身土文類が現わすわけですね。
こうして宗教を邪偽と方便と真実とに分けて、邪偽から真実へという形で仏陀の心のはたらきをまとめていく。これが『教行証文類』というものでね、邪偽の宗教にまでも仏様のお心が入っている。そこから私達を邪偽から救うために様々な手だてを設けているんだぞ、ということを言うために、実は「大集経」という経典が長々と引用されているんですね。
あの「大集経」の引文というのは凄く難しいです。今日はその話をしている時間がありませんので、もう止めますけども、「大集経」とか「地蔵十輪経」とか様々な経典を引用いたしまして、邪偽の中に埋没する私達を真実へと導くために、如来様はこういう世界にまで身をやつして我々を導いて下さるんだということをね。それを「大集経」だとか「正法念経」とかいう経典を通して我々に知らして下さる、それが化身土文類の末巻です。
化身土文類の末巻は難しいんですけどね。昔からあんまり講義されないとこなんでね。
文、解し易しって、解しやすいことはない、難しいんだけどな。これはなかなか面白い事が書いてある。
さて、真実の教といわれた教え。その真実の根元は仏陀の覚り、その仏陀の覚りが、言葉となって私達を導いていく。それが無分別後得智と言われる世界だ。その無分別後得智の世界の中に真実と方便とがあるわけですね。無分別後得智の中に真実なる教えと、そして真実に至らしめる為の巧みな手だてである方便の法門とがある。それを親鸞聖人は真・化という法門として表わしていかれた。その真実の法義という事を、教・行・信・証というかたちで展開していくわけです。
えらい話が長くなりました。ちょっとここで暫く十五分ほど休憩させて頂きまして、そしてもう少しお話をさせて頂きたいと思います。今度は、行・信を中心にして、もう少しお話をさせて頂きたいと思います。
なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・(和上退出)