教行証文類のこころ/第一日目-3
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教行証文類のこころ |
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- 教行証文類のこころ
浄土真宗という言葉で、まず親鸞聖人は、それは法然聖人の教えの真髄を顕わすんだと、法然聖人の教えの真髄を浄土真宗と名付けるんだと、こういうふうに仰っているんですね。じゃその浄土真宗とは具体的にはどういうことですか、というとまずそれは大無量寿経の教えであるということです。
じゃその大無量寿経の宗-教。ここで宗教という言葉を使いましたが、単に外国語のレリジョン(religion)の翻訳としてでの宗教じゃなくて、仏教で言っている宗教なんです。
宗としている教え、という意味です。宗というのは中心、一番肝要な教えということですね。大無量寿経の肝要、大無量寿経の宗/致であるような、大無量寿経の宗であるような教え、それを浄土真宗というんだ、という意味なんです。
明治からこちら、仏教の用語を外国語の訳語として使うことがありますので、元々の意味が逆に忘れられていますんでね。それで一寸困るんですが、やはり言葉を使う場合には一つ一つ定義して使わないと、誤解を受けますんで、宗であるような教えという意味です。宗教というのはね。
だから大無量寿経の宗であるような教え、宗というのは宗要、一番肝要なところ、要(かなめ)ということです。じゃ大無量寿経の要であるような教えって一体何か、それは阿弥陀さまの本願だ。親鸞聖人はこの『教行証文類』で、「如来の本願を説きて経の宗致とす」と仰っておられます。経の宗致、大無量寿経の宗致。それは阿弥陀さまの本願だということで言われていますんで、ここで本願というのは第十八願のことです。広く言えば四十八願ですけども、その四十八願の中心を言えば第十八願である。つまり浄土真宗とは第十八願の法義であるということです。これを浄土真宗という、こういうことなんですね。
これは親鸞聖人ね、御消息の中に、お手紙で言われております。現在年代が確かめられるものとしては一番早い時期に書かれたお手紙ですね。七十九歳の時のお手紙でございますが、そのお手紙の中で「選択本願は浄土真宗なり」(p737)こういうふうに仰っています。
「浄土宗のなかに真あり、仮あり」、浄土真宗の中に真と化とがある。化というのは定散二善、自力の法義のことだ。真というは選択本願である。そして選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なりというように仰っていまして、選択本願は浄土真宗なりとこう仰っています。
ですからあの「正信偈」にですね、真宗の教証を片州に興し、選択本願を悪世に弘めしむと言われたのがそれなんです。浄土真宗というのは何か、真宗の教彰?は何かといえば、それは選択本願だと仰るんですね。「浄土真宗をひらきつつ、選択本願のべたまふ」(595)と和讃に仰ったのもそうですね。浄土真宗とは選択本願の法義のことをいうんだ。
ですから浄土真宗とは第十八願、つまり選択本願のご法義のことをいうんです。選択本願というのはね、これはまた後に詳しいことを言いますけども、選択というのは選び取り、選び捨てるということですね。一切の自力の行を選び捨てて、他力のお念仏一つを選び取って、お願いだからお念仏して我が国に帰ってくれよ、私の国に生まれて来てくれよと如来さまが願っていてくださる。これを選択本願と、こういうんですね。これが浄土真宗というものだ、と、こういうことです。
したがって浄土真宗とは第十八願の法義のことをいう。その第十八願のご法義とは何か、如来さまが一切の自力の行を選び捨て、他力のお念仏一つを選び取って、これを成仏の法として、仏になる法として選び定めて下さったのが選択本願です。
そうすると選択本願とは何かと言いますと第十八願の法義ですが、第十八願の法義を一言で言ったら何になるんですかと御開山に聞いたら、「念仏成仏これ真宗」(569)とこう仰る。念仏成仏の法門、これを浄土真宗と言うんだ。
和讃の中にね、先ほど言った浄土真宗がそこに表わされてる大無量寿経を和讃として、詳しく説かれたのが大経和讃、その大経和讃の終わりから二首目のとこです。終わりから二首目のとこに、念仏成仏これ真宗と書いてありますね。
- 念仏成仏これ真宗
- 万行諸善これ仮門
- 権実真仮をわかずして
- 自然の浄土をえぞしらぬ
あの和讃をみますと、念仏成仏これ真宗と言われております。これは実は法然聖人は念仏往生ということを仰ったんですね。第十八願は念仏往生の法門である法義を説かれていると法然聖人は仰った。念仏往生の願であると仰った。それを親鸞聖人はもう一歩踏み込んでね、念仏成仏の法義である、とこう仰るんです。これは浄土に往生するということは成仏することだ、仏になることだということを御開山は仰るんです。
これはまあ大変なことなんですね。これはまた後に時間があったら。時間があったらじゃない時間つくって言わにゃならんのだけれども(笑)。大体わたしは話があっちゃこっちゃ飛ぶもんすからね、余談が多いので申し訳ないんですが。
とにかく、仏を念じて仏になる。念仏成仏、これが真宗だと言われたんですね。この念仏成仏の法義を浄土真宗というんだと、こういうことです。その念仏成仏。本願を信じ念仏を申せば仏になるという教えなんですね。歎異抄の第十二条に、うまいこと要約してありますな。
「他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや」。実にうまく仰っていますね。さすが歎異抄の著者唯円坊というのは、実に的確に親鸞聖人の教えというものを把握してらっしゃるなという事が分かりますが。
さ、その念仏。この念仏を開きますと、この念仏の「法」を顕わしますと、これは「行」ですね。南無阿弥陀仏というお念仏、これが法でございます。そのお念仏を往生成仏の道であると疑いなく受け容れる、それが「機」のすがたを表します。その機受を言いますと「信」になるわけです。
信とはこれから言いますが、疑いなく計らいなく受け容れることです。仏様の仰せを仰せの通りにすっと受け容れることですね。それを「信」とこう言うんです。
如来さまの仰せを、仰せの通り受け容れるというのは、これは大変なことです。これはまた言います。私たちは自分の考え、私たちは自分の考え自分を中心にしますから、おれが納得しなけりゃそんなもん受け入れるかい、とこう言いよります。そんなこと言うさかいあかんのやろな。(笑)
いや、自分の納得出来ないことは受け容れないというのは人間の常なんですがね。人間ちゅうのはそうはいきませんで。納得のいかん事でも受け入れにゃしゃあないとこまで追いつめられますがね。それをね、そんなしゃあさかい受け入れる、そうじゃなくてね。
仏様の仰せをまことと受け容れる。如来さまの仰ることに嘘はない。納得しないわしが悪いんじゃ、わからんのはわしがあほやからや、如来さまの仰ることがほんまや、と仰せをすっと素直に、受け容れると、その受け容れたみ教えが新しい世界を開いて下さるんですね。それが信心ということですが。
その仏様の念仏という法を、計らいなく受け容れ、本願を信じ念仏を申せば仏に成るというのは、そういう世界を現していますが、これを行/信と顕したんですね。
そして仏になる、これを証と顕わしますと、行・信・証というんですね。
それを教えてくれるのが真実の「教」である大無量寿経ですから、ここで教・行・信・証というものが成立していきますね。この法門、これを教えてくれるのが大経です。行・信・証の法義を顕わすのが真実の教、大無量寿経ですね。
ということで、実はここに現わされるのは念仏成仏の法義。すなわち第十八願の法義、これが法然聖人の教えの中核なんだ。それをこれから教・行・信・証という形で展開していくと、こういうわけなんですね。そこで「浄土真宗を案ずるに」と、こう言われたんです。
それを、この浄土真宗を二種の回向という形で、本願力の回向という形で位置付けていくわけです。教も行も信も証も、これは私が考えた道でもなければ、私が自らの力によって行じ、信じ、証っていく道ではなくて、阿弥陀さまがその本願の中で選び定めて、私に与えて下さった道である、ということでね。それは本願力回向の法である、というふうに表わしていくわけです。
つまり法然聖人が言われた念仏往生、つまり念仏成仏の道は、阿弥陀さまが大悲本願をこめて私に与えて下さった道である。これを頂戴してこの道に信順していくこと、これが私たちの歩むべき道である。それを法然聖人は教えて下さったんだ、というふうにこの『教行証文類』というのは顕すわけですね。
そこでね、この浄土真宗、内容から言いますと『教行証文類』という法義を表します。
それは阿弥陀さまの本願力回向の法門である。阿弥陀さまが大悲本願をこめて私に与えて下さった、そして阿弥陀さまの本願が私の上で躍動しているような教え。
それが、教・行・信・証という相(すがた)なんだ、もっと言替えたら阿弥陀さまは、教となり、行となり、信となり、証となって、私の上に顕現してくる、これが阿弥陀さまの救いの働きなんだ、ということを阿弥陀さまの方から証明してみせるわけですね。これが『教行証文類』という書物になるわけです。
ところでこの本願力回向とか、往相廻向・還相廻向というような、こういう言葉はね。
その発想の根元は、天親菩薩の「浄土論」と、それを註釈された曇鸞大師の「往生論註」に依っていらっしゃるわけです。
もっともその論・論註、「浄土論」とか「論註」で表されてるのと直接的には、言葉は同じですけども内容は違ってきますけども、本願力回向とか、往相廻向とか還相廻向という言葉はですね、曇鸞大師そして天親菩薩から頂戴された教えなんですね。
実は親鸞聖人が、いつ頃曇鸞大師のあるいは天親菩薩の教えに開眼されたのかよく分かりませんけどね。おそらく御流罪以後じゃないかと思うんですよ。
ただしね、法然聖人のお弟子であった頃にですね。先ほど言いました隆寛律師という方にお会いになります。この隆寛律師が実は論註、曇鸞大師の「往生論註」の研究家だったわけですね。
そして「往生論註」を通して善導大師の教えというものを、そして法然聖人の教えというものを、理解していこうという、そういう姿勢を持っておられた方なんです。
その影響があるんですね。その隆寛律師の思想傾向というものを親鸞聖人は受け継ぐわけですが、しかし論註の顕そうとしておる世界が、はっきり解ったのはいつ頃ですかね。案外、御流罪以後じゃないかと思うんですがね。
とにかく親鸞という名前を付けられるのはその時なんですよ。天親菩薩の親と曇鸞大師の鸞を採りましてね、そして自ら親鸞と名乗っていったのはね、あれは曇鸞大師を通して天親菩薩の心がそれが解った時です。
あれはよっぽど嬉しかったようですな。おそらく解ったぁ、というようなものですな。
それはね、どういうことが解ったかというとね、法然聖人の教えをすっぽりと包み込んでいけるようなね、そういう地平が開かれたんです。解ったぁ解ったぁ、これで解ったというようなとこがあったんでしょうな。
そういう時にね、あの人は名前変えるちゅう癖がありまんねん(笑)。面白い癖ありますねん、ありますねんと言うたら何ですけど、御開山は何か大きな精神的な転換をなさいますと、その時名前を変えるという、どうも癖がありまんな。おそらくね、新しい私が生まれた、新しい視野が開けた、その喜びをね、名前変えていくというそんな形で表わす方ですわ。
あの方はそういう物事のけり付ける人でんなぁ。しかしねぇこの娑婆ちゅうのはねぇ、あっ、こりゃあええですよ、教学的にはこれでよかったんですよ。
あの方はね、人生全体をけりつける人ですわ。ですからねぇ、ああいう人生にけり付けるという人はこの娑婆は生きにくかっただろうと思いますよ。娑婆ちゅうのは大概なし崩しに生きるとこでしてねぇ(笑)。それをぴしっぴしっとね、けじめ付けて生きていくというのは、それは随分差し障りがあっただろうと思いますよ。たとえば比叡山を離れて法然聖人の弟子になるでしょ。あの時、比叡山を捨てるですね。ご自身でね「雑行を捨て本願に帰す」とはっきり言いますな。
雑行を捨て本願に帰す、きちっとけじめたててる。あんな人あんまりいませんのよ。
法然聖人の弟子やったかて、そんなにおりゃあしません。先程言いました隆寛律師にしましてもね、比叡山きっての学僧ですけどね。法然聖人の教えを受けまして法然聖人のお弟子になるんですよ、そして法然聖人にほんとに心酔しましてね。法然聖人はそれを見抜いて、あの人に選択集の伝授を行なうわけです。
その法然聖人から選択集の伝授を受けた明くる年に、比叡山の根本中堂の安居の本講、講師をお勤めになりまして、その功績によりましてあの人は律師、権律師に昇格していらっしゃいますね。比叡山を捨ててはりゃしません。まぁ最後には御流罪になりますけどね、そういう事件が起きますけども、最後にはけじめ付ける人になってるわけですけども。
ほとんどは別に比叡山をやめて来ているわけじゃないんです。そんな人は少ないんです、法然聖人のお弟子でも。おそらく親鸞聖人のグループの中でも、そうですねぇ成覚房幸西と親鸞聖人ぐらいでしょうなぁ、けじめ付ける人は。だからあの人達はそうとう生きにくかったりして・・・.。
まっ、そういう事で親鸞と名乗りを挙げられますが、あれはね法然教学・善導教学というようなのをすっぽり包むような教学的な地平が開けた時です。それが嬉しかったんだろうね。それをずーっと追求していくことによって、この『教行証文類』というものは成立していくわけですね。そのことがこの本願力回向、そして往相廻向・還相廻向というところで出てくるんですが、それはまた昼からお話をしていきます。
それでは午前中は、これで終わらして頂きます。なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・(和上退出)