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間もなく母の一周忌 91

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間もなく母の一周忌、今しきりに少年時代のことが蘇ります。終戦の昭和二十年、私は中学二年生。学徒動員の町工場まで、片道九キロ、一時間四十分かけて歩きました。戦時時間の工場の始業は早く、朝五時に母が私を起こします。

それが毎日十八キロの往復に歩き疲れて、時には宵の口から眠り足りて、母に起こされずに目覚めることがありました。台所に起き出ますと竈の前に据わる母の姿がありました。壁から柱、黒く煤けた台所、十ワットほどのほの暗い灯りの下で、屈まり火を焚く決まった形の姿です。

兄が三人、兵士として出た留守の寺を守り、末の息子の私のために、日毎四時には起き出して、竈に火を焚き屈まった、朝の仕度の光景です。我が身のためじゃない。子故にふるまう日課です。ひたすら子故に起き臥し立居して、それで手柄になるじゃない、報いも償いも求めはいたしません。親業の営みです。

無量寿経に承ります。阿弥陀さまの衆生救済の功徳・仏力成就の運びには、骨折(ほねおり)・辛苦は山ほどでも、損じゃ得じゃと計られず、ひたすら衆生へ衆生へと持ちかける、大善根・大功徳が成った名号大行。

俵山深川倫雄和上は ”お経に衆苦を計らずとあるのは、阿弥陀さまのお慈悲は片道だということ。相互理解の話じゃない。ひたすら衆生を救う、汝を救うのお働きで、どこまでも、名号のおいわれは、片道で成りました”と、ナンマンダ仏のおいわれをお聞かせです。

まこと無上殊勝の願、希有の大弘誓と仰ぎ、本願、弘誓のみ法(のり)と告げられます。


藤岡 道夫