重度の障害のある子 15
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重度の障害のある子を連れた中年の母親に聞きました。
大きい子供が三人居るのに四十前にもうけた末の子がダウン症。五才にもなって言葉の理解がない。飲み食いから脱着まで、朝夕一切、手がかかります。
”母ちゃんはこの子より先に死なれん。こうして面倒みてやれる間にお浄土に参らせて貰うがよか。”こんなこと申しますと、 長男が”母ちゃん俺長男じゃ、こ奴のこた俺が見る”といいます。 次男も”兄ちゃん、連れて行けん転勤も、その中あろう。僕が家を継ぐ。この子は僕にまかせとけ。”と申します。
娘も時には私に代わってこの子の面倒をみる中に”困っとる人の世話しよう”と、看護学校にはいりました。
それから船乗りの主人はひどく短気な男、私ゃあ腹を立てた主人に何遍もなぐられたものでした。それがこの子が馬鹿な子と知れて以来申します。
”母ちゃんお前、こ奴と遊んどれ何もせんでよか。傍に付いとらにゃ生きちゃおれん奴じゃけ”と、優しい事言う男になりました。 この子のお陰で三人、情のある子を恵まれて亭主も優しい男になったとこそ思います。要らん子じゃない、大切な尊い子とまで思います。それでも言うとります。
”あんた母ちゃんが面倒みておれる間に、お浄土にお参り。母ちゃんが達者な間に、親さまんとこお浄土に参らせてもらうがよかろう”そう言い言い、この子と遊んどります。こんな母親の述懐を聞くことでした。
案じられる命、気掛りでならぬ子故に寿命の無量を願うは慈愛の極まり。五感五欲の満足、快楽を希む話ではありませぬ。ナンマンダ仏は無量寿の親さま。無常の命の私を見込んでかかって受けこんで、離れずご一緒していて下さいます。無量寿は慈悲の極まるところです。
藤岡 道夫