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誰でも誕生日 29

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誰でも誕生日があります。明治・大正あるいは昭和に産声をあげて、一人一人誕生日がある。しかしこの命、生死の命です。死ぬことを切り離せぬ命、かならず死なねばならぬ命です。代わる者あることなしと、無量寿経に説かれます。

有ることなし、とは今はないが昔はあったとか、今はないが将来その内にありますといったものではないのです。またここにはないが他所にはあるとか、私にはないが他人さまにはあると、いうものでもありません。畢竟無といいまして、死ぬ命、代理は全く有りません。金輪際ないことのなのです。

しかもいつが始まりとも知れず、三界・六道の境界に生れてはやがて死に、生れてはやがて死にと、とめどなく流転往来やまぬ我が命です。

かくて今、切り離せぬまま今生にあるというに過ぎません。その私が親鸞さまに導かれ、阿弥陀さま、如来さまを知りました。寿命無量の親さま、ナンマンダ仏の親さまは、無常流転はこの度かぎり、生死の命はとどめきったと、私に来て離れずに居てくださいます。

私はこの世の息きれ命果てるを区切りとして、阿弥陀さまのお浄土に参ります。覚りの仏さまになるのです。

ここを島根県江津市(ごうつし)の嘉戸大恵先生は、言葉をつらねて喜ばれました。

”今日は私の誕生日。ナムアミダ仏の誕生日。育て出されし誕生日。 お慈悲の響く誕生日。迷い離れし誕生日。今日は私の誕生日。 今日も来る日も誕生日。ナムアミダ仏の誕生日”。

まことに胸はずむお領解、こぼれ出た喜びと頂きます。


藤岡 道夫