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義なきを義とす

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仏力を談ず 深川倫雄和上

仏力を談ず_(上)
仏力を談ず_(下)
仏力を談ず (講話)
改悔批判_(平成7年)
博多弁の妙好人
法話 義なきを義とす
ウィキポータル 深川倫雄

深川倫雄勧学和上 (如来をきく)より抜粋

咋日から、少しお話をしましたが、仏様の話であります。 私共の御法義は仏様の話であります。裏から言えば人間の話ではありません。 だけども私共は人間同志の交際をし、自分も人間であるから、人間の話にしたくなってしまう。 そして、人間の考えで解釈をしようとする。それではいけませんな。仏様の話だから、私共の頭には入りにくいわけです。だけども、仏様のお力で、私共は何時かこの御法義が樂しめる日が来るわけですよ。

そこで、仏様の話だから、なるべくね、仏様の側で御法義を語る方がよろしい。 私どもの側で語らないわけではないけれども、私どもの側で語っておると間違うて来る。

私はあの『歎異抄』ちゅうのが好きではないですけれどもね、あの『歎異抄』は主として人間の側で書いてある。

「本願を信じ念仏を申さば、仏に成る。」(『歎異紗」第十二章)

と書いてある。「本願」は仏様じゃけど、「信じ」ちゃぁこちら側の言葉、「念仏を申す」という「申す」もこっち側の言葉、「成る」と言うのも私どもの言葉です。 「本願を信じ念仏を申さば仏に成る。」ちゅうのは、私どもの側の言葉です。仏様の側の言葉で言うたらどういうかと言うと、

「信ぜさせ、称えさせてむかえとる。」

というのが仏様の側の言葉です。で、人間の側で言ってはならないとは言いませんよ。だけども、なるべくなら仏様の側で言うようにしたいですね。私どもは、お坊さん方の勉強では、それをね、「仏に約する」「衆生に約する」という言葉を使って、「約仏」か「約生」かと使ってある。

御開山様も、『御本典(『教行証文類』)の中で約生、我々の側の言葉も、もちろんお使いになってありますけれども、多く仏様の側で言ってある。

例えば、六字釈と言うて、「南無阿弥陀仏」の御釈がありましてね、それで、「南無阿弥陀仏」は仏様のおよび声だといってあるでしょう。そんなら、六字釈を仏様のおよび声だという約仏の釈でない釈はないかと言うと、『尊号真像銘文』という易しいお書物の中には、

「釈迦・弥陀二尊の勅命にしたがい、召しにかなうと申すことばなり。」

と言われてある。「したがう」のもこっち「かなう」のもこっちだから、その場合は約生、我々の側の解釈をなさってある。

だから、してはならないとは言わない、しかし『尊号真像銘文』というのはいかなる書物かというと、田舎のもの知らん者に易しく書いたもの。ねえ、昨日こう申しました。御開山は二十九歳から三十五歳まで法然門下におりまして、

「実践の道を歩みなされや、義なきを義とするんですよ。」

と言われましたので、実践の道を歩もうとしなさったと思うんです。それで八十歳過ぎまではその道を貫き通して、それで死ぬはずであったんだ。だけれども、八十歳過ぎに関東の人達が、いろいろくだくだとつまらん事を言うので、ついに教えなければならなくなった。教えるということは、もうそれは実践ではありませんね。

私ども、お坊さまというものは、その、お説教ちゅうのをせにゃならんのです。 これ、無駄なことやと思う。お説教をするから、坊さんが間違えてゆくと思います。 ねぇ、実践というのは、念仏の実践と言うのは、私がお念仏を喜んで生きてゆくのが実践であって、他人に言うて聞かせるなんて無駄な事です。他人に言うて聞かせ、他人の世話をすると間違うです。それであなた方も、村役・とび役・いがいがどんでね、 この、他人の世話をなさることがあるんだろうが、他人の世話をすると間違えます。他人の世話は地獄です。他人の世話地獄ちゅうんだ。蟻地獄みたいに這い出られん。 坊さんで言うなら、教化地獄。近ごろの刷物は皆、教化地獄の約生地獄。書物の名前でもね、え~『本願に生きる』だとか『お慈悲に生きる』とかね、生きる話ばっかり。

仏様がお助け下さるちゅう話は、ほとんどないじゃないか。ねえ、それで、今日は実践と評論ということ。評論などと言う言葉は好かんのですが。「実践」というものは、私がやると言う事です。それに対しまして「評諭」と言うのは、易しい言葉に直せは「見物(けんぶつ)」でありまして、それはまた教えることでもあるので、御開山は、「親鸞は弟子一人ももたず候」とおっしゃる。教えるちゅうことは弟子が居ることでね、弟子がおって師匠が教えるのであります。

「親鸞は弟子一人ももたず候」というのは、私はこの立場(評論)には立ちませんのや、というおこころだろうと思いますね。実践の立場を生きていくのてある。「他人にものを言うべき者でもない」というお言葉もあります。で、「真の仏弟子」というお言葉をね、「信の巻」にわざわざとり上げて、解釈をなさるところに、何と書いてあるかというと、

「弟子というは、釈迦諸仏の弟子なり。」

とあります。阿弥陀様が抜けとるですよね。「釈迦諸仏の弟子なり」とある。釈迦は諸仏の一仏でありまして、諸仏でよろしい。なぜそこで、弥陀の弟子ではないのか。お釈迦様は、私どもに教えて下さる。大恩教主・釈迦如来であるが、阿弥陀様は教えて下さるお方じゃぁないんだ。阿弥陀様は救うて下さるお方ちゅうこと。

子供が学校に行くと、学校の先生が教えて下さるから、先生は恐ろしい。家に帰ると、お母ちゃんは可愛がって下さるから、お母ちゃんがよろしい。近ごろは教育ママちゅうのがおるから、あれが嫌われるし、あれが間違いであるわけですね。 阿弥陀様は教えるのをやめなさった。なぜか、教えても詰らんやつじゃから、そのまま救うちゅうんだ。そのまま救うと言うのは、教育不可能なんだ。

私のところの仏教青年会の運中が

仏青 御院家よ。
御院家 何かい。
仏青 もうちょっとわかる様に話してくれや。
御院家 わからんか。
仏青 わからん。
御院家 わかりゃせんから、わかると思うな。
仏青 わからん話を聞いたっちゃぁつまらんじゃぁないか
御院家 それがお前の最高の理論だよ。仏様の理論はな、わからん話を聞かせて救いなさるんだよ。
仏青 ますます、わからん。
御院家 だから毎月常例に来て、テレッとしとって、済んで一杯飲んで帰ったらそれで丁度ええんだ。

わからん話を聞いてつまらんと言うけどね、この世の中にね、わからん話しをすることがお説教の他にもう一つある。 何か。生れたての赤ちゃんを育てておるお母さんです。わからんですよ、あなた。フンギャ~フンギャ~言うて。 ねえ。おなごちゅうのは、あれからおしゃべリが始まるんやろうと思う。なぁ、それで、こうして足を二つつかみ、

「アァアァ、待たせたね。お母ちゃんがね、忙しかったからね、マァッたんと出たね。マァ、よしよしよし、よいよい……。今度は気持ちがいいよ。そーれ、乾いた。気持ええ。たんとお上がり。」(胸を開いて授乳をする)

えぇっ、黙ってやりゃええのにね。あの言葉は赤ちゃんには分ってないんだ、あれは.チャブチャブチャブチャブ喋りながらやってますね。そんなことさえも思わないけれどもね。そんなら、黙ってやったらええか。

「・・・・・・・・・・」(オシメを替える動作)
「・・・・・・・・・」(授乳する動作)

黙ってやりゃぁええじゃないか。わからん話、聞いたってつまらんなら、理屈が通ってるじゃぁないか。

しかし、お母さんはしゃべらずにはおられない。弥陀は語りかけずにはおられない。救わずにはおられない。あの、お母さんのおしゃべりがねぇ、意味はわからんけど、子供の心を安定させるんです。私ら、長いことないですよ。来年の彰順会の頃は、青息吐息で寝ておりゃにゃぁならん。いまの内にね、お説教の声に、意味は分らんでもよろしい、お説教の声になれておくがええ。お勤めの声になれておくがええですよ。

で、もういよいよになったらね、看病人があらかたろくでもないですよ。この中でも、爺さんの死んだ婆さんが大分おると思うですが、ねえ、その爺さんが死んで行く時、婆さんが看病人であったわけだけれども、爺さんとしてはねぇ、何とも頼りない好かん看病入だったわけです。なぜかというとね、最後に死を語ってくれる看病人ではなかったではないか。

希にはいますよ、彰順会においでるくらいの婆さんはね、語ったかも知らんけれども。爺さんがまだ生きとる婆さんはね、よお~っと勉強しときなさいよ、爺さんが先に死ぬかわからんそりゃやわからん。わからんけども、爺さんが死ぬ時に、婆さんが死を物語る相手であるか。ねぇ、婆さんが先に死ぬ時に爺さんがその、死を語りうるか。

爺さん 婆さんよ、もう二・三日じゃろう。
婆さん 爺ちゃん、気の弱い事を言わんとしっかりせにゃ。

八十年頑張ったのに、まだ頑張れとは、鬼の様な婆さんだなこれは。

爺さん 婆ちゃんよ、もう後ニ・ニ日。
婆さん 爺ちゃんそう思うかね、ご苦労やったな、もう覚悟を決めたかね。

そう言って貰いたかったんです。ねぇ、その時になってね、婆さんがね、その、嫁ごの時からしゃべりつけとるからね、

「爺ちゃん、すじ向いの嬢ちゃんが、昨日お見合いをしたと。」って。

関係ないよ、そんなものは。

「今日は雨が降るよ」って。

知るか、そんなものは、ねえ。なぁ、私一人、わたしひとり。いやそれは、今、まめな時から私一人であって、他人の世話なんてするか。住職なんて、門徒の世話でいらんこと。門徒を信心の人にするちゅう坊さんがおるんです。バカじゃなかろうか。オウチャクこくな。門徒を信心の人にするのは親様の仕事。坊さんの仕事は門徒からお志しを受け取るのが坊さんの仕事。ほんまやないか。 ほんまやないか、お志をもらって、お内陣もようしましょう。外陣の畳みも新しゅうして、気持ち良う聴聞してもらいましょう。参った者に、お茶出しましょう。で、お金がいるじゃぁないか。それでから、説教中に寝とるのが、そりゃぁ勝手だ、むこうが寝るんだ。ねぇ、それで、門徒一人ひとりが信心を喜ぶ、それは親様の仕事であってね、人間の仕事じゃない。

ちゃんと今言っておきますがね、信心になる方法はないんですぞ。これがまた、人間の方法を適用するでしょう。人間の理屈を適用してね、信心になる方法があるだろうと思うて、お説教聴聞がひとつの信心になる道だと思うてるんだ。

もし我々に信心になる道があったら、その行き着く所は、やはり我々の世界だ。異質の世界に、どうして私が踏み込む力があるか。そこで咋日から、稲城和上のお話でも、自分の力を用いるということが、極度に排斥されるわけだ。だから信心になる方法はないんだよ。

そんなら、どうしてなるかと又考えるだろう。そんじゃ、どうしてなったんだろうね。分かりませんか。御開山も分らんのや。だから、どう言ったんだろうか。ヒョッコリなったから、「たまたま行信を獲ば」ちゅうんだろ。順序よく行信を獲たんじゃぁないんだ。

「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶ぶべし。」

そんだから、仏様の話をテレッと聞いて、忘れて帰るのが説教聴聞というものです。なぁ、手放しで、ええですか、手放しで大願業力にまかせたら、誰が説教を一生懸命聞くかいな。楽しんで聞かしてもらう。 仏様の話を聞いたら知らんことだらけ。私は両親から生まれて私が始まったかと思うたら、仏様に聞いたら、

「お前は遥かなる荒野のごとき歴史の彼方から、お前は砂の数ほどのいのちを生れ変り生れ変りして来たんだ。」

ちゅうんだ。

「それで今、生れ難き人間に生れたんだ。」

ちゅうんです。それを、図にかきますとね。それを私風に絵に描きますとね。生まれ変ったんだから、こうかきますかね。いま、人間に生れたんだ。そうして、まもなく終ったら、大体ならまた迷って行くはずだったけれども、この度、お釈迦様のお説教を聞いたんだ。「浄土三部経」を聞いたから、今度は仏様になることになったんだ。

え~、人間に生れ難いけれどもね、生れ難いけれども一遍くらい生れたことにしようじゃないか、むかし、ねぇ。なにしろ砂の数程いのち生れ変ったんだから、一遍くらいねぇ。お前その時どうしたかちゅうとね、説教聞かなかったんだ。じゃぁ、お説教は何時からあったかというたら、私が迷うて来た間から、もう砂の数程の仏様が、お説教聞けよ、お説教聞けよ、と言うたんだ。嫌じゃ、嫌じゃと逃けて来たんです。逃げて来たんだ。この人間に生れた時も、生れて来たけど、嫌じゃ嫌じゃと逃げて来たんだから。それをどう言うかちゅうと、

空過

ちゅう。空過ちゅうのはね、食うか食われるかじゃないですよ。「空しく過ぎる」。 それでね、お葬式の時、御院家さまがね、沢山の御和讃の中からたった一つとりあげて、この御和讃をお葬式の時、うたうことになっとる。

本願力にあひぬれば
むなしくすくるひとぞなき
功徳の賓海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし(『高僧和讃』天親讃)

「本願力にあいぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」てね。

 私は住職だから、いや、もう住職をやめたけれども、度々お葬式に行きましたがね。お葬式いくとね、こういうの(箱)の中に、こん中に死んだ人が入っちょるぞ。 なぁ、ろくなのが入っちょらんのや。これなぁ、たいてい住職は知っちょるけん、何が入っちょるかちゅうことは。ろくなのが入ってないんだ。ねえ、大酒飲みの爺が入っちょる。ようしゃべる婆が入っちょる。こすい婆が入ってとる。首吊ったのが入っとる。自動車にはねられたんが入ってとる。赤ちゃんが入ってとる。ねえ、いずれ劣らぬ煩悩具足の凡夫が入ってんだ。

あのお葬式というのは有り難いですよ。奸かんけど有り難い。あそこでね、「五劫思惟之摂受」って、あそこで大きな声を上げることになっとんです、むかしから。 うちの息子から聞きましたがね、何処かお東のある和上様がね、お年をとってからだろうけれども、「帰命無量寿如来………超発希有大弘誓」カーンと打って、そしたら両方の脇導師は黙っとるね。それは、真ん中の和上さんの門徒やから、和上さんが導師。導師が、

「五劫思惟之摂受」

ちゅうたら、

「重誓名声聞十方」

ちゅうて、そこから焼香が始まるわけだけれども、その和上さん、年取ってからね、

「五劫………」
「五劫思惟………」

ちゅうてね、涙声になって、一遍に下らなかった。横の脇導師は、「重誓名声………」て言おうと思って待ってるけどね、なかなか下らんでしょ、それでそのうちに、そのまわりの、よく和上さんのお葬式にたのまれる坊さん達が、茶話で決めたちゅうね。

「和上さんは近頃、お葬式の時に『五劫思惟之摂受』がすんなり言い下りなさらんから、わしらは自分の口の中で言うといて、それで適当な時に「重誓名声聞十方』って両方から言おうや。そしたら和上さんが、『普放無量無辺光』とついて来るから。」

って、いうことになった。なぜその和上さんは、言い下がらなかったのかということです。 私共も住職で葬式をする時は、導師の番だから、箱を前に置いといて、その「五劫思惟」と言おうと思うナ。みんな泣いてんだよ。婆さんが死んだちゅうて娘が帰って、お母さん死んだちゅうてね、さめざめと泣いとるんだ。生きとる時は砂ひっかける様なことしといて、偉そうに泣くな。ねぇ。

「五劫思惟之」
「あぁ、とうとう爺ちゃん死んだかぁ。大酒飲みのくそ爺が。婆を泣かせて、おんな狂いをしてのお。曠劫よりこのかた迷うて来たが、爺ちゃん、艮かったよ。御本願のお念仏を称えさせてもろうて良かったなぁ、と、いま百万円の袈裟かけて、爺ちゃんよお、あんたの前で『五劫思惟』と言うとる、これもおんなじ奴なんだよ。あんたも本願のお慈悲の中に育てられ、このくそ坊主もあんたと一緒なんだ………」

と思えば、お経がすんなり声にならなかったに違いないわけです。

なぁ、今度はお葬式があったらねえ、聞いとってごらん。「本願力にあいぬればむなしくすぐるひとぞなき……」ちゅうから。あれですよ、どっか早よう葬式がありやぁええなぁ。(笑)

それで、こう、空しく空しく過ぎて来たんだ。そして今、お釈迦様の説教を聞いたんだ。お釈迦様というこの仏様、なにかちゅうたら、阿弥陀様がちゃんと阿弥陀様になる時に、ご用意下さって、第十七番目のお誓いの中へ、

「私が成仏の暁には、お前の所に南無阿弥陀仏となってとどいておることを、一切の諸仏を使うてお前が何処におろうとも聞かしてやるぞ。」

ちゅうのが、咨嗟称我名の願。それでこの第十七願の仏様が、砂の数ほど私のまわりにやって来たけれども、甲斐なく私は逃げて来たんだよ。ねえ。それだから『阿弥陀経』の中にあるでしょ、「恒河沙数諸仏」て、砂の数ほどの仏様。ところがこの度は、その諸仏の中の仏であるお釈迦様の説教を聞いたら、ナンマンダブツを称える事になった。

私はもう今ここ(一生補処)におる。今度仏様に成るんです。良かったなぁ。そこで御開山様が「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶ぶべし」ちゅうのは、このずいっと昔から御縁を結んでいる、私にまで御縁を結んで下さった仏様がいたんだ。

私は貧乏寺に育ちましてな、兄弟が沢山おって私は十番目の子供や。だからね、餅を焼いて食べるのにね、チョロッコクやらんと食べられんのやね。 兄貴や姉ちゃんに取られるから。な、昔はなぁ、火鉢に鉄きゅうのせてね、お餅を焼くんや。まわりからも。それで、大きなのの早よう焼けるのから、こうやって、ツバつける。 ツバをつけるちゅうでしょうが、ねぇ。逃げる私の背中に諸仏が、ツバくらいつけて下さったんだろうと、わしゃぁ思うなぁ。それが重なりまして、今日こうして、お念仏を称える身になったんだ。

それともう一つ、じかに大きな力は、お父さんお母さんのおかげです。お爺さんお婆さんのおかげです。自動車が一台買われる程の金かけて、お仏檀を用意をして下さってね、ナンマンダブ、ナンマンダブと、我々の父は妙好人ではなかったぞ、我々の母も妙好人ではなかった、我々に向って大手を広げて演説もしてくれなかったけれども、お内仏の前に御礼をする丸くなった背中を毎日見してくれました。 信玄袋下げて、お寺に参る後ろ姿を度々、父も爺ちゃんも見して下さいました。大きな御恩で、たまたま行信を獲たのであって、真実信心になるカリキュラム、方法はないのや。

それをあるかと思って一生懸命になって教えるんや。だめな事なんだな。だから御開山は「親鸞は弟子一人ももたず候」。教えませんということ。で、教えると言うのは、真仏弟子釈にいう様に、「釈迦諸仏の弟子」、お釈迦様は教えなさるんです。

我々は教えられるわけで、師弟関係には意味があるんです。御開山が「弟子一人ももたず」というのは、私は人に教えるという言い方はしたくないんだ、私が法然様から教えられるのを拝聴し受けとる事はあろうとも、人に教えると言う論理・言い方はしたくないというのでありましょうね。

ところが、八十過ぎになって、どうでも教えなければならなくなったんです。くだくだくだくだと、つまらん事をいうものだから。そこで、『尊号真像銘文』であり、『唯信紗文意』であり『一多証文』であり、仮名の書物をお書きになった。何と書いてあるかちゅうとね、

「ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことをとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり。」(『一多証文』末尾)

て、あるから、こりゃぁ明らかに教える書物です。教える書物になって、御開山は理屈を言い始めたんだ。教える理屈を言いはじめて、そして言うておいては、「しもうた」というので、「義なきを義とす」ということを、しきりにおっしゃった。

「いっぺん心得たら、こんなこと言うでないぞ。」

と言うのであります。お念仏を称えて、一生補処の位になり、お浄土にいって仏に成るんだ。何の不足があるか。ええっ、難しい事じゃぁないんですぞ。やがてもう死なにゃならん。あんた方は、死ぬる時は何ちゅうて死のうと思っちょるですか。 まだ決めてないですか。決めとった方がいいですよ、死ぬる時は何ちゅうて死ぬるか。

「鳥の死なんとするやその声よく、人の死なんとするや言うことよし。」

というじゃないか。自分が死ぬる時、もう一つ前には他人が死ぬる時何ちゅう言おうて思うとるか。爺ちゃん死んでしもうた婆ちゃんは、もう手遅れやけれども、まだ孫が死ぬかもしれんしね、姉ちゃんが死ぬかもしれんしね、他人が死ぬる時にどう言おうて思うとる。

死ぬるちゅうことは大層真剣なことですよ、いい加減じゃないんです。あのね、 時々死ぬる稽古をした方がええ。死ぬる稽吉をするのはね、寝てからがええです。 寝てねぇ、寝て灯を消してからがええです。死ぬぞよ、死ぬぞよ。ねっ、他人が死ぬちゅう話は知っていますよ、誰だって。私が死ぬと私が受け入れるちゅうことは、大変なことなんですよ。死ぬぞ、花は紅・柳は緑というあの色あざやかな世界も見てきたが、先程夕方であれが見納め。友達・あの人・親類のあの人とも今晩でお別れ。

死ねるか、死ねるかっちゅうてね、私は死ぬと布団の中でね、何度もやってみるがええですよ。やってみんでも、重病の寝床でそれが迫ってくるんですぞ。死にとうないですぞ。だから、死ぬると思いたくないわけだ。

それを学者達がね、死を拒否して、死を受け入れる・死を受容する事を拒否するちゅうんだ。しかしね、そうして死を拒否しても、身体は日毎に衰えてゆく。手を動かす力さえなくなっている。人によって前後の差はありますけれども、最後に私が死ぬると死を受け入れる日があるわけだ。人によっては半日前、人によっては十日前、人によっては一カ月前。

『死の瞬間』という書物を書いた外国人がおりました。沢山そのことを研究し、また、『続、死の瞬間』というのも書いておりますがね。その中に書いてある。そうして看病人にも「死にとうない」なんて言われませんし、その時、看病人が死を語ってくれる相手でもないから、自分が死を拒否しておる時は、なおさら死は語りたくないわけです。

だけども、死を受け入れる、私は死ぬんだと受け入れてから、死に至る間はねえ、人生で今迄こんな事があったろうかと思う程、至上の幸せの時だそうですよ。これは経験がありませんからね。非常に、この上も無い幸せな時だそうです。どういう風に幸せか。見るもの聞くもの、感謝の種でないものはない。沢山のおしゃべりは聞きたくはない。じっと手などをにぎって、そこにいてくれればよろしい、というんです。

そんなら私はそれをねぇ、そのことを読みもし聞きもしまして、その期におよんで死を受け入れるか受け入れんかということと、我々日頃聴聞をしておるお念仏の御法義とは、どう云う関係にあるかと思ってみるんです。ねえ。お念仏の者はね、その受け入れ難い死をね、月賦で払いよるんです、月賦で。だから、どう言うたかちゅうたら、高座の下を臨終と思えちゅうたんだ。今死ぬぞ、今死ぬる時だぞと思えて。だから、なかなか思いにくかろうから、布団の中で稽古をしなさいちゅうんだ。

笑い事じゃ無いんですぞ。そしてねぇ、お念仏の人はねぇ、そのお助けの側から言えば平生業成、信の初一念に間違いない身にさしていただいておるんです。それで結構。それで結構、忘れ呆けてくらして結構だけれども、御恩報謝といたしましては、ご苦労下されてお待ちもうけのお浄土を楽しめる人間になった方がええじゃぁないか。なぁ、そしたら自己の中の訓練があってもしかるべきであります。

この御法義はよう出来ておるなと思う。度々たびたび説教を聞かせて下さって、お助けは平生業成であり、それからは念相続の中に御恩報謝がありましてね、そしてあの受け入れ難い死ぬるということをねぇ、月賦で受け入れて行きよるんだ。あなた方はもう年だから、夫婦が仲ええかも知らんけどもね、むかし悪かったでしょ。

ねえ、むかし悪かったでしょ。あれ、私は神子上和上から聞いたんですがね、太宰治という小説家が、言うたというて、神子上和上から聞きました。それはどういうことかと言うとね、

「二十歳代の夫婦は、愛の夫婦である。」

そりゃそうだ。

「三十歳代の夫婦はね、努力の夫婦である。」

それでね、

「四十歳代の夫婦は、忍耐の夫婦である。」

それで、

「五十歳代の夫婦というものは、あきらめの夫婦。」

なぁんて、だいたい経験がありますね。二十歳代はほうっといてもええけども、だんだん衰えてゆくから、「愛は努力である」なぁんてから、三十歳頃やってみたけどだめじゃから、まぁとにかく、こらえとかにゃいけんちゅうと、そのうちに五十になると、もうあきらめや、離婚同然だ。たまたま屋根を一つにしとるだけであってね、あきらめの夫婦。

そしたら、その先の、六十歳から先の老夫婦は、どんな夫婦か、ちゅうたら、「感謝の夫婦」だ。これね、結婚式で言うてみようかと思うけれども、残酷だね、これぁ。

「本日は新郎新婦におかせられましては、おめでとうございます。幾久しくと言うのはあれはウソであります。
間もなく坂道を転げ落ちる様に、あきらめの夫婦に向って進んで行くのでありますが、その向うに感謝の夫婦という輝く様な時代がありますので、希望を待って離婚をせぬように……。」

ちゅうてねぇ、本当のことは言うもんじゃぁないね。

しかし私、おもしろいと思うんです。ええですか。あきらめの向うにねえ、光り輝く様な感謝があるということは、どういうことなんだろう。死の受け入れの後にね、感謝の至福の時が過ぎて行くというのは、どういうことなんだろう。我々は御法義を聴聞しながらね、特別にそうして聞くのではないが、御法義の言葉で言えば機の深信という言葉がある。曠劫よりこのかた、常没常流転にして、今現に罪悪深重であって、将来とも出離の縁あることなき私である。もう、スッテンテンのどうにもならんと、あきめるという言葉を使うならば、この身はあきらめ切ったる者だというんだ。その御信心のおいわれを聴聞した彼方に、

「この上の称名は御恩報謝と存じ、よろこび申し候。」

という信仰生活がある。絶望の、あきらめの、完全否定の向うに、輝く様な感謝の生活があるというんです。そんなものは、やってみにゃわかりませんね。「闇の向うが明るいぞ」なんちゅうのは理屈にあわんじゃありませんか。だけども、そうだと言うんだ。そういうご用意がある、そういうことをねぇ、全部含んで下さってあるのが、如来様の仏智不思議。

法蔵菩薩とおいで下さって、五劫・兆載永劫ご苦労下さって、しかもたもち易き、称え易き南無阿弥陀仏と、私の五体の中に満ち満ちて下さって、なぁ、それで死んだら行く国まで用意をして待って下さると、比叡山では親鸞聖人がバカにした宗教、聖道門や今日の文化人達がバカにする宗教に見えるけれども、ここには仏智のお不思議が重々にご用意があって、有り難いことです。しばらく休んでいただきます。