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浄土真宗の生活 44

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浄土真宗の生活に於て、道徳といえば、お念仏申すが道徳です。

人の世に道徳を説く宗教は多く、又人の道を語る者、世を挙げおしなべて、人みなそうであるようです。

物を盗むな、人を欺くなという。あるいは酒を飲み大声を挙げるのは、不道徳な態度だと非難をします。

怒り哮り、粗暴の振舞いももちろん不道徳だと、責めたて裁く、世に道徳的精神の人は多く身辺にみちています。

ところで深川倫雄和上がおっしゃいます。 ”世にあれやこれをあげつらい不道徳だ不徳義だと言う者がいるが、ご当流では、お念仏申さぬが、最も不道徳です。”とこう語られます。

勿論、裸で人前に出られるものではありませんし、世にいう道徳を無用といわれる訳ではありません。

しかし世間の人なみのことを心掛けても、まよい生死界をめぐりころげて曠劫以来、流転の命。見事、道徳的に人生を辿りましても、命たどり来るその経路を知らず、命いきつくべきところを知らず、無明はついに破れずして、やたら煩悩だけが湧きたちます。

如来すでに発願して、衆生の行を廻施したまえりと聞きます。弥陀正覚の大功徳を持ちこんだからには、あやまりもない正定業・チカラとなる。さあまかせてくれと、煩悩仕立ての命、無常流転の私に宿り同居したまうた親さま、ナンマンダブツ。すでに遭いました。もう承りました。

この上は、寝ても覚めても、たとえ命のあらんかぎりはと、お念仏申す。これが当流の道徳です。お念仏申さぬが不道徳です。


藤岡 道夫