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朝日新聞歌壇 95

提供: Book


朝日新聞歌壇の、遠藤千秋さんの歌です。 「人間は 誰でも死ぬ」を まくらとし  子は相続の 話言い出(い)ず

「人は誰でも死ぬもんだ」と、今更のように尤も至極のことを息子が言う。「そりゃあ、誰だってそうですよ」と、話に乗ったとたん「そこで話だけどな、母さん」と、息子が持ち出したのは遺産相続のこと。老年期を迎える頃ともなると、死についての話や胸の内の予感が、日常生活の中に挿(さしはさ)まれてきます。

友人知人の死亡の報(しら)せが頻りに届きます。同年齢の者が亡くなると、取分けて感興しみじみとしたものを覚えもする。ましてや夫は病床にある。だから思わぬことではないにしろ、こちらからでなく息子からの遺産相続の話はきつい。 「父さんも、やがてじゃないか」と、鋭く押しつけられたようでたじろぐ。いや鼻白む思いでいる。こういった歌でしょうか。

大無量寿経に”いつまでも生きるつもりでいるが やがて必ず死なねばならぬ”と、説かれます。

世に不公平税制の是正ということ、近頃耳にしますけれど、人間が造るものみな不公平です。経済・教育・福祉といえどもそうであって、万般不公平でないものはない。ただ死ぬこと一つ、誰の命にも片寄らず公平にある事実でくるいません。この公平な死の事実を内部につつみもって、如来(おや)さまのおまことがあらわれました。ナンマンダ仏と、その体が現れきて下さいました。

俵山西念寺の和上は ”如来さまの至心・おまことは、何が起ろうとくるわないもの”と仰せです。あらゆる命の事実をつつみもって、公平平等ナンマンダ仏がご一緒です。


藤岡 道夫