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月に一・二度 125

提供: Book


月に一・二度、風呂場の体重計に乗ります。大体六十一キログラム、この二年変わりません。背丈が今の一六八センチになったのは、たぶん高校二年、昭和二十三年頃だったでしょう。その後二十歳頃から吸い始めた煙草を、三十五・六で止めるまで、体重はずうっと五十二キロ。ほとんど二十年変化がありませんでした。

ところがタバコを止してから太りはじめて、六十七・八キロと一・二年の間に、十五キロも体重が増えたのは、われながら吃驚したことを覚えています。その後十五年、その体重が続きます。

それが一昨年健康検査にドック入りして、お医者さんに肝臓・血糖値・中性脂肪の注意を促され、食生活を改めるように申されました。一々もっともだと肯かされまして、それから少し心掛けまして、今の六十一キロの体重に、この二年落ちついています。

ところで乗っかってるだけでこの体重計、私の体に備わる重みを正しく目盛りにきざみます。私の生活環境・生活態度まで反映し、体重そのままが目盛りに出ます。

さて”この上の称名”という時の”称”という字は、物の量目をはかり出すとということ、と親鸞聖人のお導きがありました。私がお称名する。これすなわち如来(おや)さまのお徳ご讃嘆、ほめ讃えることとなるのです。

物に備わる重みまるごと秤の目盛りに現われ出ます。弥陀の正覚(さとり)のお徳まるごとが、称えれば出るようになってるのですね。これぞ仏力功徳を、凡夫に称えられる名号にお仕上げの仏智のおいわれにほかなりません。ナマンダブ ナマンダブ。


藤岡 道夫