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昭和十四年十月廿六日の宵 73

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昭和十四年十月廿六日の宵、父は往生を遂げました。小学二年、八ツの年の、その臨終の光景は、今も鮮明に残ります。

この日、父は熱がある私の額を、洗面器の水に浸したタオルで冷やしてくれました。床に戻って、横になろうとして、心臓マヒの発作があり、数分後には、息を引取る往生でした。来年は、父の五十回忌。秋の二日間を、おみ法に浸ろうと、法供養を目論んでいます。この世に結ぶ親子の縁は、僅かに八年足らず。他人の身の上なら、到底五十年を距てて、法縁の形の要はありません。まさしく忘却の彼方のことに違いありません。

阿弥陀さま本願の企に、人の世の恩愛人情を切り捨てず、ナマンダ仏・名号法に吸い上げ組込んで下さいました。恩愛・人情・煩悩の深みに降りきってくださった阿弥陀さまです。人縁を転じて、法縁にまで捲き上げてくださいました。

西方は、父いますみ国、西方は、母いますみ国、西方は、親しき者の逝きませる国、ああ相逢わん、只この一つのみ法(のり)にて、なもあみだぶつ、只この一つのみ法にて。

木村無相氏の念仏詩を呟くとき、お浄土はにわかに親しみを増します。お浄土は、父いますみ国です。遠い祖先(おや)達、そして父のお念仏の命に連なって、私もまた、まぎれずお浄土に参ります。よかった。よろしゅうございました。弥陀の大悲、お念仏のお法によって、先立ちいく人を、往生成仏の導きの命と肯きます。祖先(おや)たちの後に順(したが)い親しんで、あの人この人を、お浄土まで訪ねさせていただきます。


藤岡 道夫