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昭和五十六年の一月 60

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昭和五十六年の一月、ご本山の御正忌法要の正一週間、総会所と御影堂にお説教をさせていただきました。時あたかも、私の実家の寺の母が、今年はご開山さまと同い年の九十才”というて、奇しくもこの年の、ご本山のご正忌を勤める私を、殊の他喜んでくれました。

ご本山で頂いたお説教のテープを持ち報告をかねて、坊守と娘を伴い福岡の田舎の生家に母を見舞いました。

一泊して山口に帰る間際に”また、その中来るよ”と、暇を告げますと、走り去る車の中で”おばあちゃんは、今日このお別れが、今生の別れのように、覚悟しておいでよ”と、娘と坊守が涙します。終(つい)の別れの最後の情景は、このようなものなのかと、私も胸中に、ふくれるものを覚えます。三人、車中お称名申し乍ら、立帰ることでした。

然し”もうよかばい”と、母がいうのは、実は、今や活躍中で”忙しゅうてならん”と、いう息子。それが又来るというが、こりゃ無理するに違いない。母たるもの、子に負担はかけとうないから”もう、よか、よかばい”と、親の気持をそこに集めて言うたのでしょう。親心の表れでありましょう。

お念仏の身の上は”金剛の真心を獲得(ぎゃくとく)す”と、ご開山さまは喜ばれ、金剛心の行人と仰言います。金剛心とは、真・実・誠の仏智を本体として、証果(さとり)をひらく種となる心だから、疑い一つまじらわらぬ心だと、如来(おや)さまのおまことを仰がれます。その如来の親心をあげて、ナンマンダ仏と、私に持ちこまれました。

深川倫雄和上は、ここを”私には、如来さまが、満ちていて下さる。今やまさに、黄金、こがねの如き私です”と、ご讃仰なさいます。


藤岡 道夫