敗戦の年から 68
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敗戦の年から、今四十二年。敗戦の年から遡って、日露戦争までが四十二年。歴史の今昔の感、深いものがあります。
近頃”レトロ”といいます。ファション界などで、昔に戻る・復古調ということだそうです。レトロといって、どの時代に戻るのでしょうか。
ところで今、七輪を使われる家が、どれほどありましょうか。魚を焼き、一寸した煮物をする。樫や楢など堅炭の火をおこす。ともかく、どの家にもなくてはならぬ物でした。新聞を丸めて入れ、ほど木と消炭、堅炭を載せる。マッチを擦って、団扇であおぐ中、やがて真赤に火が熾きる。
さて私、いつが始めやら、窺い知れぬ流転の間、煩悩まみれの命でした。善導大師が”信外の軽毛(きょうもう)”といわれる。功徳といわず善根といわず、吹けば飛び散る髪の毛ほども、この身に持ってはおらぬとおしゃる。それがまさしく信心のひが熾きた。弥陀願力・仏力が貪愛・瞋憎の身を的に、ナンマンダ仏の火種をもって来て下さった。
深川倫雄和上がお聞かせです。”あらゆる仏さま方は、この私は、煩悩具足の七輪、火種がない。布施・持戒・禅定や智慧と万行功徳を奨めて、あおいでみたが、火種がなければ見込みは立たぬ。凡夫が仏になる道なし、と見抜いたがこの私。ただ阿弥陀さま、ご一仏。正覚(さとり)の功徳の全部を火種に仕込んで、ナンマンダ仏の声となり、私に今は宿って下さる。今日も今日とて、貪欲・瞋恚(しんに)の榾木(ほだぎ)について、無明の炭が燃えるよう、ナンマンダ仏の如来さまが、離れず同居していて下さる”と、念仏成仏のおみ法(のり)をうかがいました。
藤岡 道夫