建長七年親鸞聖人 3
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建長七年親鸞聖人は八十三才になられ猛烈な忙しさで一年が過ぎます。
尊号真像銘文・愚禿鈔・三経往生文類などを書き上げられました。
又教行信証・文類聚鈔・浄土和讃など既にお仕上げの書物を写し採られる作業、その上この年、善鸞さまの為お法混乱の極みにある関東から、審しさ疑わしさに耐えかね訪ねてくる同行の応接に暇がありません。 キリもなく届く質問状に一々ご返事なされる等、誠にご多忙の聖人でした。 あまつさえ暮れの十二月十日、火事のお為お住いを失われます。
時に、円仏房なる関東の一人の門弟、誰の導きが確かやら思い惑うた挙げ句、この上は直にお師匠さまにお出会いしてと思いつめます。 下人身分の円仏に自由はありません。銭で売り買いされ、人一人前の扱いは受けられませぬ。
思い決して主人に無断で出奔し、関東を後に京都に到り着きました。 火事のあとでお移り先も定かでなく、まして不案内の京の街に漸く聖人を訪ね当て、適切懇ろなお示しを承わり終わりますと、忽ち帰郷を告げる円仏房に、走り書きして手渡されたお手紙が今もとどめられています。
思いつめて主人に無断で上京の円仏の身を気遣われます。 そこで真壁の城主大内国時の甥に当り関東同行の中心人物・真仏房に当て、円仏の主人に取りなして身の安堵がかなうよう依頼されます。
”この御房よくよく尋ね候いて候なり。志有難きように候ぞ”と仰言います。世の下積みに漸く命繋いで生きる円仏を、この御房といとほしみ志有難しと、弥陀大悲にうるおう信心の行者をおし戴かれます。
大悲の御手の中に、如何なる命も見込まれて手離されず、願海平等にして皆御同朋の命なりと、振舞われる親鸞聖人でありました。
藤岡 道夫