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年改まって、ご正忌 41

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年改まって、ご正忌に因(ちな)むお話です。

親鸞聖人ご往生から六年後、八十七才となられた奥方、恵信尼さまが、京都においでになる末娘、覚信尼さまへ向けられた手紙が伝わり残ります。

近頃、年老いた犬が寝そべっては立ちあがる。どこへという目当てもないまま、ちょいと立ち歩いては、どさりと横になる。そんな有様の日暮しで、物忘れもひどうて惚けたような近頃です。

今ははや、往生遂げる日、その時を待つばかり。おそらくこの便りが、今生の最後のものとなりましょう。だからといって、こんな衰えた様子でも、暗く沈んで、歎くまでもありません。

この私は、必ずきっと極楽へ参らせて頂く身なのですから。そなたもどうぞ、お念仏申され、極楽へ”まいりあう”身と、ならせられますよう、願うてやみません。

極楽に”まいりあう”からには、暗く気落ちすることなく、万事明るく存じている処ですから・・・と、お書きになりました。

今生最後のお便りかと、念を押しながらも”参りあう”倶会一処の恵みを、喜ばれます。翻って親鸞聖人の八十七才、十月廿九日のお便りに”かならず、かならず、一つところへ参りあうべし”と、二度くり返されますのと、恵信尼さまの便りが、照り映えます。

十五年前、親を亡くした越後の幼いお孫さまの面倒を見るべく、恵信尼さまが京を離れられる。共に八十・七十を過ぎた老いの身。別れは恵信尼さまのお嘆き涙の中でしょう。そこに聖人のお言葉”かならず、かならず、一つ処、極楽に参り合うべき身、きっとな”と、聖人がさとすように、お聞かせだったに違いない。離れ住まれる恵信尼さまの胸臆(むねのうち)に、珠玉(たま)の如く懐かれてあったに違いありません。


藤岡 道夫