操作

年が改まりました 81

提供: Book


年が改まりました。一年前はまだ赤ん坊で歩けなかった孫が、生後一年十ケ月、小さな腕をうち振り走ります。物の名を沢山覚えて、近頃少し言葉を連ねた”お話し”の形になる様子も見えます。

活発に遊び疲れて朝おそくまで、びっくりするほどよく眠ります。今も大人たちのご飯が終ったあと、食堂に孫の朝の食事が用意されてます。二階の寝室に小さなマイクがセットされ、台所のレシーバーに、孫の目覚めの声が伝わり聞こえます。まことに便利なものがあるものです。

幼い子を持つ親は、何をしていようとも子供の気配を感知するように、神経を廻(めぐ)らしています。親の慈愛を形にして、マイク・レシーバーまでもが仕度されました。

目覚めの時も眠りの時も、思いを離さぬ親がある。気嫌よければ見守り遊び、むずがればかき抱きして、周到な用意の親が在ります。 仕度ととのえ、用意万端の親があります。

蓮如上人が仰言る。”弥陀をたのみ たすけたまえとたのむ心”これが名号、ナンマンダブツにご用意のおいわれです。

如来さまは、願い発動の時点ではやばやと、私の往生の見込をつけて、今やナンマンダブツと来て下さってます。仕度十分、万端ご用意の如来さまは、ナンマンダブツとごいっしょしていて下さいます。

ナマンダーブ ナマンダブ、ナマンダーブ ナマンダブ。帰命無量寿如来・南無不可思議光、親鸞さまが偈(うた)われます。

ナマンダーブ ナマンダブ、摂取心光常照護、大悲のみ手にかき抱かれて、み光りにまもられ過ごします。ナマンダーブ ナマンダブ。


藤岡 道夫