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周りの人に、親切だと誉められ 61

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周りの人に、親切だと誉められた、ある同行に”わたしや、親切どころか、腹に一物あるんですよ。そりや、ご近所に、ちょいと一口の煮物やら、野菜一握りを差上げとります。それもこれも、私が独り暮らしだからのこと。息子は神戸で所帯を持つサラリーマン。娘は嫁いで長崎暮らし。私が患うても、おいそれと間に合いません。

ところが、風邪ぎみで朝床を離れずにいると、ご近所の誰彼が声をかけてくださる。カーテンが開かんからとか、姿が見んからというて、気遣うていただく。時には、おカユさんの差し入れまで、いただくこともあります。有難いことです。わたしや、床の中でお称名させていただくことです。

咄嗟の病気には、近所のお世話になるは必定。そこで、かねがねつまらない物でも、せっせと近所に差上げて、宜敷く頼みますいう気で、いざという時に備えております。ちゃんとした下心あっての事。親切と褒められることじゃありません”と、くだけた話をうかがいました。

深川倫雄和上が”阿弥陀さまには下心がお有りです。私を覚りの仏とまで救い遂げられるのも、私に慈悲行を果たさせようとの、底意・下心があるのです。つまり、この私に衆生済度をさせようとの、歴とした下心があってのこと、これぞお慈悲の極まりです”と、お聞かせくださいます。

これは”還相の利益(りやく)は、阿弥陀如来の、衆生済度の本意を、顕すのである”という、親鸞聖人の仰せを和らげられるお話です。

念仏の命、私は成仏まぎれもなくて、衆生済度の希(のぞ)みを孕(はら)む命なんだと、わが身を撫で押えて、盆の月の仏前に、お称名報謝いたします。


藤岡 道夫