再び親鸞聖人八十七才 40
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再び親鸞聖人八十七才、十月廿九日付のお手紙ついて話します。
この手紙は”閏十月一日の御文、たしかにみ候”と、書き出されます。つまり関東栃木県・高田入道から来た手紙に対しての返辞であることが知られます。
聖人が関東をお離れになって既に三十年。関東在住二十年の間に馴染みであった人々の悉くが年老いて弱りました。
近年(ちかごろ)手許に届く便には、毎度(まいたび)一人か二人、先立ち往った友同行の名前が伝えられてまいります。櫛の歯が欠けるように皆往きます。
今回、高田入道大内国時からの便りにも、覚念坊の往生のことが伝えられました。 それを承けて十月廿九日に記(したた)められた、八十七才というお年を召した聖人が、往生の時を目前に見据える思いの、このお手紙は一入(ひとしお)しみじみとしたご心境が表れて、殊勝のお味わいがうかがわれます。
”この親鸞の方こそが、先立ち往くものとばかり思い、やがての往生を待つ心地で過ごしておりましたものを。親鸞ほどの年でもない、覚念坊どのの往生の報(しら)せを聞こうとは、言おうようもないことです”と、かみしめたお心持ちが述べられます。
そして言葉が継がれました。 思えば昨年、往生を遂げられた覚信坊どのも、お証(さと)り世界で、待ち受けていてくれます。このこときっと動かぬ事実ですから。
念仏の行者、お互い悉くが弥陀正覚の華の中に生れ合います。必らずきっと生れ合うべき身となり得たこと、申すまでもないことです”と。
ここに、阿弥陀経の”倶会一処”の正意が懇ろな述懐のおもむきに語られています。
藤岡 道夫