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二誕生過ぎの孫娘 93

提供: Book

二誕生過ぎの孫娘、電話に興味があるらしく、私達夫婦の居間にかけてくる室内デンワの母親のデンワに割り込みお話したがります。”もしもし、えりこ、行ってもいい?”傍に居て私どもの仕事の邪魔ではないかと、都合をたずねる母親に教わるとおり口まねして”えりこ、いっていい”と、話かけます。

彼岸過ぎの先日、両親に連れられ瀬戸大橋から道後を廻る旅行をした孫娘。旅館に到着したこと、家に連絡のデンワをかける母親の傍(そば)に、孫の声がしています。

デンワに出たがるから一寸替わるからと、受話器を渡した気配があって、やがて孫娘の声が受話器に現れます。

”もし もし えりこ もしもし”
”ああ えりこさんか おじいさん もしもし”
”もしもし もし もし えりこ 行って いい もし もし 行っていい”

これには笑いました。私共夫婦が笑ってますと、またもや受話器に聞こえます。 ”もし もし じいじ いっていい”

山口県と愛媛県、瀬戸内海を隔てて距離がない計算がない話で、これは可笑(おか)しい。しかし、孫娘にとって受話器の声はまぎれもない、じいじ、おじいさん。おじいさんがおるのです。じいじにもう会うています。

俵山西念寺・深川倫雄和上、常に仰せに
”ナンマンダブツは、字ではない。娑婆の文字を知っている我々は、すぐに文字に当て嵌めるクセがある。そしてナンマンダブツを只の文字にしてしまう。これはいけません。如来さまは、凡夫私の耳に入り、この臭い私の口にかかって下さる、ナンマンダ仏、声で来てくださっているのです”と、お聞かせです。


藤岡 道夫