中国新聞の投書欄 16
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中国新聞の投書欄”こだま”に、三十才の女性の次のような投書が載りました。
庭に干す布団を下取りに出して新しいのを買わないかと誘われました。然しこの古い布団には手離しかねる想い出があります。
十五年前、十五の歳中学を卒えて住込みの就職した年の事。冬近く急に寒くなった或朝、田舎の母さんがバスに乗って布団を届けてくれました。聞くと一番二番三番とも”バスに布団は乗せられない”と断られる。それでも四番のバスならばと待ってみて漸く乗せて貰うて来たとのことでした。
”先生と奥さんに可愛がってもらえ”と言い置いて、母さんは帰っていきました。
バスが通う回数とて少ない田舎のこと。乗せて貰えぬバスを一番二番三番と見送り乍、寒かろうと運ぶ布団を抱えて、母さんは停留所でよほど冷たかったろう。そう思うたら結婚する時にも里に置いとく気持ちになれず持って出た布団。とても新しい布団の下取りには出せません。
こんな投書を読みました。住込んで独りぼっち。まだ幼いほどの娘です。寒い思いをさせられないと、思い立ったら退けませぬ。満々たる母の慈愛の働きです。
阿弥陀さまのお慈悲の姿をうかがいます。衆生界等しく身の煩いに伴うて命のおびえを抱えます。また例外なく心を悩ますのは、骨肉の情ある者に関わる愛憎の境界。実は此処が弥陀本願の舞台であり現場です。
まさしく煩悩具足の凡夫を見込んだ上から弥陀大悲の利益は実現します。あらゆる衆生の立場を汲んで、憂い悲しみ悩みそして苦痛の全てを受け込んで南無阿弥陀仏は仕上がりました。弥陀の名号、ナンマンダ仏は、私に添うて離れぬ親として今やご一緒していて下さいます。
藤岡 道夫