テレホン法話は 38
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テレホン法話は、二分五十秒余の片々たるものです。それが六十二年度は、7,359回、望外の利用度数に上りました。
これはひとえに、長門俵山西念寺・深川倫雄和上のお言葉を、話の骨子に戴いたによると窺いみます。本篇第五話から、三十一話に至るものがそれです。
積年、和上の膝下に学んでなお領納するところ微少。継続の寸話に辛苦しては、胸奥の師言に拠って涸渇を潤そうとこころみました。
しかし、隆然たる師説の中の、片言隻句を用いてはたして妥当か。あるいは説意を真正に受け得ているかと畏れます。
ただ感話中に適言ならずとも和上の一言一句は鉄案です。仏意・教意が指授せられてゆるぎもありません。再読三読の深読みをもって了察願います。
和上、さる日の講話に”本願の行者たる者すでに素凡夫ではない”と仰せです。篇中できるだけ等正覚の身の上を告げ、書名も改めず前の”阿弥陀さまがごいしょです”第二集としますも、その意向をもってしたことです。
装幀などに用います”蓮華”は隣郡熊毛の同行、山本アキノさんのご好配によります。大津市在住の仏画家・橋田栄一郎氏の英美子夫人が山本さんのお嬢さん。自ら絵をなさる夫人、母上の請を容れて、この本のために描いてくださいました。
此の界に一人 仏の名を念ずれば 西方に便ち 一蓮ありて生ず 法徳・師徳にともなう、なみなみならぬ恵み奉持(ぶじ)頂戴するばかりです。
昭和六十三年盛夏 大光寺住職 藤岡道夫
藤岡 道夫