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テレビや新聞 96

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テレビや新聞挙げていま、幼児誘拐して殺害に及んだ事件が連日話題になっており、この犯人を割り出す方法の一つに、筆跡鑑定が行われます。字の書き癖を見るのでしょう。思うに人は、なくて七癖というほどに、なにがしかの身についたものが誰にでもあります。

勿論癖というのは、人事についてだけ言うものでなく、竹や木などの曲がりぐせということもあり、紙や布地の畳じわを、くせがついたといい、癖のある馬などと言ったりもするようですので、癖ということずいぶん広く使われる言葉のようです。

でも癖という字に、やまいだれを用いますことからして、本来人の身についたことでいうことにちがいありますまい。手足の動きの伴う立居振舞から、顔の表情やら物言いの端々にまで、癖があります。寝姿・寝言にいびきも癖でしょう。酒に酔うて、くどい・からむ・笑う・泣く挙げたら全く際限もない有様と申せましょう。

こうした身についた癖、概その当人の覚えのないことです。たとえ傍の人から指摘されて、自分の癖に気付いたとしても、身についた癖がめったなことで止むものでは在りません。それが癖というものです。

さて今や私は、仏のかたより往生は治定(じじょう)せしめられました。ナンマンダ仏と如来(おや)さまがご一緒のいのちです。そして、この上の称名は御恩報謝と承りました。このご報謝の称名・お念仏について、俵山深川倫雄和上、或る日の仰せに「クセになるほどの、お称名」とてお聞かせ下さいました。お念仏の癖がつく、ナマンダブ ナマンダブ。


藤岡 道夫