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サイレンが鳴ります 45

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サイレンが鳴ります。ああ、お昼じゃなと思う。私はサイレンを聞いたと説明しなくてもいい。サイレンが鳴り響くや否や”お昼じゃ、ご飯にするか”とこうなります。

如来さまは、名号・名告りをもって、私の往生成仏の定業(ちから)となるとおしゃいます。まよい生死界をころげめぐる私を、無上覚の仏とするには、この手一つと、ナンマンダ仏をご成就です。光明無量・寿命無量と親の正覚(さとり)全体を持ちこんだからには、あやまりもない正定業。チカラとなる! さあ! まかせてくれと煩悩仕立ての命、私に宿ってくださいました。

そうです。如来さまは、ナンマンダ仏とお名告りです。声に姿を現して、耳に響き煩悩の心に分け入って、私の口にかかってまで下さる。これはもう成仏まぎれもないこと。位はまさに正定聚。

無常の命、私が成仏くるいもない身に転じられました。光寿無量の如来(おや)さまが同居してくださって、等覚の命になりおうせているんです。

五十九年四月、深川倫雄和上の還暦記念講話集”仏力を談ず”を編集中の私に、和上のお便りが届きました。そこにまこと押し戴くべきお味わいが述べられています。

”天を仰ぎ、地を眺め、おのれのおなかに手をやって、ここはおやさまの満ちていなさる刹(くに)じゃと、思うています。光寿無量のおやさまが、何を忘れても、お前一人は忘れはせぬとおしゃるので、私というものは、千鈞の重みのあるものにちがいありません。大切にせねば勿体ないわが身じゃと存じおります。”

お領解とご報謝の完璧なさしがねを頂戴して、深々とよろこんでおります。


藤岡 道夫