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クリップしていた紙切れ 107

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クリップしていた紙切れに”お慈悲は いつも立姿”とある一語に、記憶が蘇ります。畏友、広兼至道君は、入院検査を受けた大阪日生病院の寝台ごと、新大阪駅から新幹線で広島駅へ、そこから車で大竹市の国立病院へと移し帰されました。時に昭和六十年五月二十一日、宗祖聖人のお誕生日の事でした。

”真の仏弟子たる身のあるべき様は 如是我聞だよ”というて、主治医の診断結果を奥さんに、包まず丸事告げしめました。

動かすと骨がくずれると気遣われる、悪化しきった容態の末期ガン。あと百日の命、止めようもない容態と聞いて、自ら承知した至道君です。

大竹国立病院の玄関に、時八十一歳の父上が待受けていてくださいました。そこに居合わせたイトコの方が告げられるのに、

”あんたのお父さんはな、至道さん。新幹線が大阪駅を出発してからこの病院に到着するまでの三時間の余、今までずうっと立っておいでたよ”とのこと。

”藤岡先生、イトコからその話を聞きましたが、椅子にかけておっても新幹線は走ってくるのに、まあ、立って待っておったですと”

”お慈悲はいつも立姿ですね”と、こんな風に満面の微笑みをもって聞かせて貰うた言葉です。

”お慈悲はいつも立姿”空中に浮かぶ阿弥陀さまのお立姿を、韋提希夫人(いだいけぶにん)が眼(ま)のあたりに拝み見たと、観無量寿経に説かれます。これに因んで、私共が礼拝給仕するご本尊は、姿勢は前のめり、御身を傾け立っていて下さいます。

直立不動でなく動く如来(おや)さま。名号ナンマンダ仏のお姿です。病院の玄関ホールに立ちつくして三時間、この父上のお姿と如来様ナンマンダ仏が重ね合せて、満々たるお慈悲の様に味わわれた言葉です。

藤岡 道夫