操作

またとは会い得難い親友 7

提供: Book


またとは会い得難い親友・広兼至道君。あと一と月の命と、骨髄末期ガンの宣告を受けた去年の五月から九月三十日の命の際まで、貴方の仏恩報謝の営みは、深厚の極みでした。

”今日が目的です”と、何度も語りました。今息絶える極限の命を、見込み取り込んで掛けられた御本願です。救いの相手にレベルを定められません。規準もありません。規準レベルに達したら救うとあれば、稽古も訓練も必要。しかし大信大慶喜心のお法は非行非善、私の手出しすることではないと親鸞聖人の仰せをよくよく味わいました。  十方衆生のその中で命の際の者をこそ、とりわけ急がねばならぬと見込まれた親さまです。その親さまがナンマンダ仏ともう今現にこの命に来て満ちて離れずご一緒なのですから。

お説教聞くのは如来さまに会う準備運動ではありません。お念仏もご信心もお助けに逢う段取りではありませんもの。ナマンダ仏、お称名のまま、只今が弥陀願力の摂取の事実。今日が目的ですと貴方が語るのは、お助けに会うた謝念のことば。

去年五月二十四日西念寺の深川倫雄和上さまが、黒衣五条に威儀を正して大竹国立病院の病室に臨まれました。今生最後のお説教をしますと、御讃題・御法話・そして聖人一流章のご拝読まで、まことお浄土の仏事と仰がるる希有のご法縁。

その折り貴方は言いました。全身の骨がうづき咳の為、呼吸困難ともあいなって声に出してお念仏申されないその時は、”如来さまに甘えさせて頂きます”そうつぶやきました。

仏恩報謝は他でもない。わが裡なる親さまとの親密ないとなみなのですから”甘えさせて頂きます”。まことにこれは、殊勝至極の御報謝なるかなとほれぼれ仰ぎ聞くことです。


藤岡 道夫