操作

ふくらみし 126

提供: Book

ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中に  (結城 多良子)

何ほどの用事もないのに実家の母から電話がかかって来た。受話器に伝わり聞こゆるその声は、常の如くふっくらあたたかい。暫くは声の響きを楽しむように聞き入ります。

急ぎの用がある訳でなく、ただ何となく日々の消息を気遣うてかけてきたもの。それだけにお互いの日々の明け暮れ告げ会えば、それで用は足りてます。

さりとて受話器を置きませぬ。田舎に離れ住む老いた父・母の暮しに変わりなければ、ご近所の誰れ彼れ、田畑の実りのことなどを尋ねたずねて話を引き出し楽しみます。話の内容はともあれ、おだやかにふっくらとした母の声音にひたるように聞いてます。

あたかも陽差しの中にふくらんだ真綿にふくむ温もりに似て、遠く住む身の裡にきてしっとり分け入り満ちました。声に慈愛を含みこみ、母それ自体がそのまんまここに来てくれています。

ふくらみし 真綿の如く あたたかき
母の声きく 受話器の中に

極楽は本願の音声(おんじょう)世界、清・揚・哀・亮・微・妙・和・雅、弥陀如来(おやさま)の声の響きのみ満ちるとこ。十方諸仏の国にある、業苦の生死(いのち)、流転の命に響ききて、安堵の思いふくらみます。

声、仏事をなす、といわれます。まさしく生死勤苦この境界は、業苦の声があります。そこに声の如来(おや)さま、阿弥陀仏の声がきて、ナンマンダ仏とお宿りです。孤独じゃないよとごいっしょです。この世を過す間中離れずにいて下さいます。ナマンダ仏 ナマンダ仏。


藤岡 道夫