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はじめに 1

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畏友・広兼至道氏往生の後、その父上と夫人の懇請を承けて、氏が設置して間もなかった、法話電話を引継ぎました。

大光寺に移設して一年、こんな形にまとめるのは、実のところ早過ぎます。

しかし、一話十日間、年間の聴取合計六、五五三回。それが、五月の末から広兼氏の”命の際を承知してのご報謝の極み”を語り始めて以来、一話三〇〇回を何度か超えました。 五月以降の八ケ月は、一と月平均六七〇回に及びます。これは、当初の予想をはるかに上回るもので、冥加を喜ぶばかりです。

老いた人の誰彼が、製本をせがまれます。”受話器から、かろうじて聴きとりますが、文字でゆっくりたどりたい”とおしゃる。

特に、広兼氏にかかわる話”今一度聞きたい””くり返し味わいたい”と老若の希望がしきりです。

本来、受話器を握った人のその耳許に伝わり、それで消え失せてよろしいかと存じます。

それが”録音テープをおこしています。本にして下さい。聞こえぬが、読める人のために”と請われて思いたちました。

十日ごと三十六話。重複の言葉が眼ざわりでしょう。 ただ、西念寺深川倫雄和上の”この身の助かりぶりではない。阿弥陀さまのお助けぶりを告げる”とのかつての仰せに順うよう心掛けました。

”阿弥陀さまが、ご一緒して下さる”のであって”私が阿弥陀さまとご一緒している”のではありません。 私のことでなく、阿弥陀さまのお話です。

ずさんな原稿のまま、手を加えてません。字ではなく、声をもって伝えようと試みたところを、おくみ取りください。 なお表紙に、広兼氏のキリ絵、恵信尼さまシリーズの一景を、夫人に借りて使いました。

他は、氏の生前に貰い受けたものですが、特に全ページに見える”弥勒像”は、往生十八日前に手渡されたものです。

深甚の領解を偲び、豊潤なる仏恩をかみしめています。 昭和六十二年 大逮夜に

    大光寺住職 藤岡 道夫


藤岡 道夫