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ご法事に参りまして 36

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ご法事に参りまして”ご院家さん、おいくつになられますか”と、ご門徒の方が私の歳を尋ねられる。昭和七年生まれで、今年は五十五才ですがと答えます。

大体、数え年を申します。満年令は、産声挙げた日から、一年経過して一才と言います。この満年令には、母親の胎内十ケ月が含まれてません。

数え年は、胎内十ケ月を命の誕生と尊重するから、生まれたら一つと申します。ともあれ、この年令なるもの、五十五才と言いましょうと、八十才といいましょうと、自分の所持品、持ちものではないのです。

じぶんの持物なら向こう五十年間、これを使用できます。しかし年令は所有物でありません。実は失うた時間の長さ、これが自分の歳というもの。過ぎ去って元に戻しようもない、時の長さを言うにすぎません。

人間 怱怱として 衆務を営み 年命の日夜に 去ることを覚えず

これは善導大師さまの歌の一節です。
人間は忙しく仕事に追われて、日毎夜毎に命の去りゆくことをしらぬ、と歌われ、お法りに身をひたすよう奨められます。

さて、有難いことに、この一年阿弥陀さまのお法りが聞こえ続けておりました。尊いことに、さまざま、如来さまのお慈悲のほどを、耳許に告げていただく一年でした。今、もう歳末になりました。一年の命を得て残すものとて無くとも、この命、如来さまとご一緒してもろうていました。身に保つもの乏しゅうてもナンマンダ仏、光寿無量の阿弥陀(おや)さまは、離れはなさいませんでした。

慌ただしい年末をご恩報謝の工夫をします。忙しいからこそ、まずは胸に言い含めてナンマンダ仏、我と我身を促します。


藤岡 道夫