この十日の夜、焼亡に遭うて候 5
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この十日の夜、焼亡に遭うて候。これは七百三十一年前、八十三才のご開山聖人が、十二月十五日付けで認められ関東同行の束ね、真仏房に宛てられたお手紙の一節です。
この十日の夜、火事に遭いましたと仰言る。遭うて候と述べられるは、類焼の火災と察せられます。
さて、三十三才の若きご開山が恩師法然上人からお許しを得られて、一宗独立の柱とされる書物・選択集を書き写されました。ただならぬ感激は相続されて、この書物は身の傍から生涯離されることはなかったにちがいありません。
しかし、ご開山聖人のこの選択集の書写本は、今日に伝わりません。同じ若き日の精密な研鑽の文類をちりばめた、観無量寿経と阿弥陀経の集註というご開山の真筆本は、今に伝わり残ります。それが選択集は無いのです。恐らく火事に焼け失せましたろうか。だとしますと、燃え上がるは御師匠さまを焼く火か、我身を焦がす炎かと、お悲しみが深うございましたろう。
お師匠さまが自ら選択本願念仏集と題号まで書き入れて下さった何にも替え難いもの。あ嗚呼!なまんだぶなまんだぶ、なまんだぶなまんだぶ。あ、如来(おや)さまがいらっしゃてる。なまんだぶ、如来さまはご一緒していて下さった。なまんだぶなまんだぶ、如来さま離れず居て下さいました。なまんだぶなまんだぶ。
これより後、烈々たるお覚悟があって、ご報謝の中に仁王立ち、八十八才十二月二日書き終えられる。最後の著述、弥陀如来名号徳まで実に十数巻、驚嘆すべき数のお書物を著されたご開山さまを思います。今報恩講の季節、ご開山聖人ご出世のご恩です。
藤岡 道夫