ここ四、五年 51
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ここ四、五年夜が明ける一、二時間まえから、目覚める事が多くなりました。気持ちではさほどになくても、確実に老人の体になりつつあるということでしょう。
でも睡眠は短くなっても、今はまだ日々の眠りに目覚めがあり朝が訪れます。 親鸞聖人の恩師、法然上人が”阿弥陀仏、十声称えてまどろまん、永きねぶりになりもこそすれ”と歌われました。そして”つねに臨終の思いを、胸に含んで夜床に就く度毎に、お念仏十声ほどなりとも、お称えしましょうぞ”とも仰言ってます。
夜、就寝のたび毎(ごと)に、これが今生の最後の眠ぞなれば、ご恩報謝の仕納めとて、お称名申すべしと仰言るのです。
生きていくのに必要でも、学問・技術の資格や肩書きは、命を繋ぐ力にはなりません。家庭を守る財産や愛情も、死の壁を超える頼りになりません。
それが尊いことに、光寿無量の功徳を持ちこんで、ナンマンダ仏の親さまが私に来ていて下さいます。阿弥陀さまが、この五体、この命に満杯一ぱいです。
深川倫雄和上がおっしゃいます。「生と死の境目を軽うしてもらいました。死の壁をウスウクして貰うています。この上からは、肩を押さえ胸をさすりなどして”ここに、ここに親さまが来ておいでになる。この五体は、阿弥陀さまが充満していなさるのだ”と、自ら自分に言い聞かせるがいいですよ」と、仕種を交えて聞せて下さいました。
今晩床に就く折りは、法然上人の歌をよすがに称名相続の上やすみましょう。そして和上のお言葉に順(したが)い、仕種をしのび胸のあたりを撫でながら眠ります。
藤岡 道夫