お顔は知りませんが 49
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お顔は知りませんが、大光寺テレホン法話をずうっと聞いてくださるというご夫人からご相談ですがと、電話を貰いました。ずいぶん歳をとられた実家のお母さん、もう恢復は見込めぬ症状で、病の床についておいでになるという。
これから能(あと)うかぎり、度々見舞いに訪れたいが、何をしてさしあげようもない年老いた病人に、どんな見舞いをしたらよろしかろうか、教えてくれとの電話です。
深川倫雄和上は、やがて死のうかという病人に、頑張ってとか、しっかりして下さいとかいう人があるが、これはやめるがよい。永いこと頑張って生きて来たんです。”もう頑張らなくてもいいですよ、永い間、わたしのために有難うございました”と言いましょうとおしゃいます。
そこで、デンワのご婦人に申しました。”お母さん、永い間ご苦労さまでした。でもよかったね母さん。母さんの五体一ぱい、命一ぱい、ナンマンダ仏の親さまがいて下さいますもんね。阿弥陀さまが宿ってくださってる五体ですよ。ナマンダブナマンダブ、たとえ寝返りも出来ぬ体にも、ナンマンダ仏と今もう同居してご一緒にいて下さいますから。もう頑張らなくてもいい、よかったね母さん”こう申しましょうとお答えいたしました。
それから三月後、お母さんがご往生との電話がありました。病床のお母さんの耳許に、私から聞き受けた通り告げながら、この方がお念仏申されます。すると居合わせたご兄弟など、不吉なことを言うなと怒られたそうです。
でもナンマンダ仏の親さまは、命一ぱいご一緒です。よかったねとの声に、お母さんの眼に涙がにじみ、口許にはお念仏がうかがわれました。こうして母へのお礼がなりましたとのことでした。
藤岡 道夫