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お説教の二日目が日曜日 130

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お説教の二日目が日曜日、その寺に参詣の同行に伴われてきたとみられる子供達が七・八人が、本堂の隅にかたまっています。

お話の前、如来さまの前のお供え物を眺めて、私が子供達に、 ”何かお下り頂戴できたら思うけど 適当なものないな。お餅もだめだし お菓子もないし”と申しました。

すると、傍らにいらっしゃたご院家さんのお母さん、あたふたと庫裡に入られたと見るや、ビニール風呂敷の四隅を掴んで、一包み何やら持って出られました。

”さあ あんた達 これお上がり”と、出されたのは、法事饅頭の一山です。 こうしたもの、今時の子供達が喰べるかなと見る中に、七・八人の子供達、夫々手に饅頭を握って頬張ります。まことに微笑ましい光景で、見てる当方(こちら)まで嬉しくなります。勿論、同行達もほほえみ眺めます。

ところでこの饅頭、お寺に予め用意されたものじゃありません。いわば有合わせ、間に合わせもの。もしそこに呉れてやるものが何もなければそれっきりです。

さて今ここに、私に宿る如来(おや)さま・ナンマンダ仏のいわれを聞きます。 生死流転・輪転止まぬ命の私に、眼差し深く寄り付いて、見離しならぬ如来さまが”廻向を首”当初から関わりきって下さいました。

有り合わせものじゃありません。間に合わせものどころか、これは全く私に狙いを絞って、必ず救う、きっと助くると、功徳力仏力ありったけを、ナンマンダ仏にお成就(しあげ)です。弥陀大悲ご満足あって、私に来てご一緒下さいました。


藤岡 道夫