昭和天皇の死去 92
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昭和天皇の死去に伴いテレビ新聞は、このことで持ちきりでした。天皇とその時代について、いろいろな階層・世代の人の論評がまことに賑やかでした。それも今では総合雑誌に舞台を移して、少し考察を深めた論述が行われています。
敗戦の年、中学二年、福岡県の片田舎の少年だった私は、父が早く死んだ後、上三人の兄が兵士となって出た家で、母と二人で過ごしました。戦争にまつわる記憶の一つは、敵の飛行機来襲を告げる警報・サイレンの響きです。サイレンが鳴るたびに”ドキン”としては緊張します。
やがて敗戦。戦後は村人の生活の節目、農作業の便宜を図って、朝・昼・そして夕方の時刻を定めて、農協の屋上のサイレンが鳴ります。戦後しばらくの間、サイレンが鳴る度毎に、胸がドキンとするクセが残っておりました。戦争の名残のクセが取れたのはいつの頃でしたろうか。ともあれ、その設備仕組みを直接間近に見た事はありません。私にとって”サイレン”は、機械のことではなくて、耳に聞こえる音そのもの、響きそのものです。
俵山西念寺・深川倫雄和上が
”ナンマンダ仏は、文字ではありません”とおしゃる。”親鸞聖人において、名号といえば、音がしよるのである”ともお聞かせ下さいます。
幼年時代から文字教育の仕組みの中に育ち、ナンマンダ仏の名号を文字と眺める習慣がついて、解説し講釈して理解に到ろうとする。
親鸞さまが、名号大行は”無碍光如来のみ名を称する”と、仰言る。み名を称する。あくまで、名号は音に響き聞こえるナンマンダ仏です。
藤岡 道夫