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哲学者ケーベル博士 117

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哲学者ケーベル博士は、東京大学教授として廿一年間勤められました。その研究・著述の仕事は”文学において特に哲学において看過ごされたものと忘れられたもの”に集中して果されたと聞きます。

さて幼い女の子が四人誘拐殺害された事件は、ことに民放テレビのニュースキャスターが競ってカメラやリポーターを駆使して、その報道は詳細を極めました。

その後を週刊誌が追いかけて二・三週間はこれが特集記事となり、いまは月刊雑誌に場所を替えて、社会心理学・犯罪心理学などの専門家、それに推理小説の作家まで加わって、論文や座談会でもってこの異状事件が扱われています。

いわばニュース・事件として落ちつくように落ちついたと申せましょう。その間、加害者の顔や印刷所であるその住居を知りました。また被害に遭うた四人の女の子の顔を覚え、夫々のご両親の悲しみの声など何度もテレビ・新聞の報ずるところから、具に万人の知るところとなりました。

その上また、犯人加害者の妹さんは、折角ととのうていた婚約が、この事件のため破談になったことも知りました。これはこれで一つのニュースだから、テレビ新聞の扱うところとなったのでしょう。

しかし人の話題にも上がりませんけれど、深い悲しみにひしがれて、懊悩やる方もない人がある。加害者の父・加害者の母がそれです。

さらにいや、だからこそ、この那落(ならく)の底に落ちこむほどの父の苦しみを、苦しむ母の悲しみを悲しむ大悲が湧き起こります。大悲は極まりまして己の仕出かした事が見えてもいない青年の命に満ちて及びます。如来(おや)さまの声がとどきます。ナマンダブツ ナマンダ仏と来ておいでです。


藤岡 道夫