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新南陽市富田 105

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新南陽市富田(とんだ)から、山に向う曲折の多い坂道を、お招きのお寺に車を走らせます。すると荷物を振分けに肩にした女性が、坂道を歩いて登っています。この先、峠のトンネルの向うの村まで家がないこと、しばしばこの道を走って承知していますので、荷物は後ろ座席に入れて、この女性を助手席に乗せました。こんな場合、通常人は有難うございます、とお礼を言うものです。ところがこの女性、お礼を申しません。いや黙ってたんじゃありません。こう言いました。

”やれまあ えかったあ!”

周防の人らしいお国ぶりまる出しで、心底助かった嬉しさ、胸の裡一ぱいの気持ちを露に、大きな声で言いました。

”やれまあ えかったあ!”

お助けに会うた喜びを率直に口にいたしました。 問わず語りの車中のお話で、四時まで待てばバスがあること。お昼の今から待つより、二時間も歩けば家に帰れると歩いてたこと。病院に行ったついでの買物が、思わぬ大荷物になったことなどなど。短い間の矢継早の話で知りました。

やがてここでという場所で降ろしますと”有難うございました””何とお礼申しましたらいいのやら”と車の脇でお辞儀をしながらとめどなくお礼の言葉を並べて、こちらが恐縮する程の挨拶です。

親鸞さまは”弥陀成仏のこのかたは 今に十劫を経たまえり”と、ナンマンダ仏に遇い得て”よかったなあ!”と讃詠(うた)われます。この嬉しさが”喜愛心”とこそ表現(あらわ)されたかと、窺い味います。


藤岡 道夫