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人生のほとんどを 98

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2009年7月29日 (水) 13:54時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

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人生のほとんどを、父ちゃんの背中と車イスとベットで過ごした、ぼく。・・・父ちゃんと母ちゃんは、ぼくに二十三歳の命しかあげられなかったことが、残念でならない。でも、ぐち一つ言わず、父ちゃんと母ちゃんに楽しみ一ぱいくれてありがとう。・・・

ぼくのところへ父ちゃんも行きたいけど、まだ母ちゃんの車イスも、じいちゃんの車イスも、父ちゃんが押さなければならぬからね、一人で我慢して下さい。巨人とカーペンターが大好きだったぼく。体が弱くても、たくさんの友達に恵まれたぼく。父ちゃんの大好きだったぼく。たまには夢の中で、父ちゃんの涙をふきにきてくれないか。

毎日新聞の読者投稿欄”男の気持ち”に見た、島根県・松本政雄さんの言葉です。 脳性小児マヒだったのか、二十三歳の息子”ぼく”が死んで半歳。 ”俺はな、ぼく、まだ死なれん”と、松本さんはいう。母ちゃんも車イス。その上じいちゃんまで車イス。これを父ちゃん、押さなきゃならんという。なあぼく、夢の中でも父ちゃんの涙をふきに来とくれ、と松本さんがいう。

無理もないなあ、そりゃ、涙が流れるよなあ、来年もそうだろうが、とこれを読み書きながら私は涙した。そして、やがて私の涙は日常他の事に紛れて、今乾いています。でも今も乾かず涙しまします如来(おや)さまがいらっしゃる。松本さんの涙の一つ、ひとつずつに、ナマンダ仏とお宿りの阿弥陀さまがごいっしょです。


藤岡 道夫