操作

医学者・佐々木隆興先生 70

提供: Book

2009年7月29日 (水) 13:51時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)


医学者・佐々木隆興先生が”人間は、自分の膝の下くらいを持てば、わが体を持ち挙げられるような錯覚をする”と、おっしゃる。これは至言です。更にいえば、人は自らの生命力で、わが命を持ち挙げられはいたしません。にもかかわらず、多くの宗教の名で、持ちあつかえるように語るのは、つまり錯覚に過ぎません。

幸・不幸を論じ、善悪を裁いて、どれほどの人間の心をきたえ、命をみがいても、畢竟(ひっきょう)人間の話です。この境界を、一歩も出ません。

昭和十四年十月廿六日、父が往生遂げました。その二日後廿八日は、廿一才の姉も参りました。今年は二人の五十回忌です。母は永らえまして、この正月を数え九十七才で迎えています。でも、正月五日病院に運ばれました。そして一週間、最後の生命(いのち)を見守る状態になっている旨、昨夜兄のデンワを受けました。

この世に、わが命をあらしめ、ナンマンダ仏の如来(おや)さまを、この命にもたらした父と母です。仏の方より治定せしめられ、早く父は往き、まさに今、母もお浄土へ参ろうとしています。

人間のレベルで語っていては、この別れの思いは、満たされませぬ。人間の話はもう止します。

深川倫雄和上から、極楽の一日は広大に長い時間だこと、山口県野島の同行夫婦が、終(つい)の別れを告げ合う、有難い話に寄せて聞きました。

よかったなあ、お母さん。お父さんが往かれて五十年たあいうても、こりゃ人間の時間。極楽じゃ、ちょいと一服する間のこと。おお、もう参らせて貰いましたかと、お父さんの声がかかります。よかったなあ、お父さんにもう逢えるよ。ナマンダブ ナマンダブ ナマンダブ。


藤岡 道夫