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さまざま、人の話を聞きます 69

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さまざま、人の話を聞きます。金や財産・地位や名誉に関わる話。技術・資格を持つものが、人生たいへん有利である話。なんにもまして人間関係ほど、重大かつ深刻なことはないなどと、せつせつと訴えられもします。するとまた、そんなこと、どれほど満たされようと、健康でなくては何にもならぬ。まずは、健康第一と主張する人も出てまいります。

この世の苦しみ悩みを痛感している当事者として、いずれもそう思うに至ったなりゆきが、夫々訴え語る人の身辺に、あったにちがいないと察します。

ところで、人はまた精神的でもあります。倫理あるいは宗教的信条を心に含んで、人に強く説得する人があります。それ等の人が言う。たとえ生活環境、条件が整えられ、その上健康に恵まれたとて、心貧しくては幸福にはなれぬ。精神が貧相なままでは、しあわせは感じられない。そのため、常にわが心を豊かにしてこそ、心富める者となる。つまり、私自らが要ですから。だから、私を大切にして生きるのです・・・。と、大変教訓的に語られます。この類の話をする宗教家は、世にゴマンとあって、テレビにまで顔を見れます。

至極、尤もらしく聞こえましても、こりゃあ真宗ではありません。阿弥陀さまが不在です。

深川倫雄和上の仰せに”阿弥陀さまが、私を大切にして下さる。必ず救う。お前をきっと、証りの仏にする。私にかかりっきりにして、煩悩生死を断ちきったと、ナンマンダ仏の如来さまが、私にご一緒です。こう聞いた上からは、私を大切にして下さる阿弥陀さまを大切にする。私のことはなるべく小さくして、阿弥陀さまを大きくして生きる。これがご報謝の生き方です”と、お聞かせです。


藤岡 道夫