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車を運転されるお方 58

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2009年7月29日 (水) 13:51時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

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車を運転されるお方は、都会の商店街に車を乗り入れて、くるまの置場所・駐車場を探すのに、苦労されたことがお有りでしょう。ご他聞にもれず私も、再々ならずその経験がございます。

お説教先のご院家さんから、ご挨拶状が前以て届きます。それには、境内に車が入りますとか、車庫をお使い下さいとか、仰言ってあります。

また時には、石段の上の境内であるとか、路地が狭くて車が乗り入れられないから、これこれしかじかの場所に駐車して下さいなど、ねんごろにご指示を下さることが、多くなりました。用意周到なご親切です。

先月、夏に行われる恒例の布教大会の会場を、どこにお願いするかと相談をいたしました。

大会参加の布教使さんが、県内各地から集められて、二、三十台の車。それに参詣の方の車も考慮に入れると、四、五十台分の駐車場の確保が、絶対条件となります。

本堂が大きく参詣者が沢山あって、その点申し分ないと解っていても、駐車場の用意がかなわなければ、大会のお引受けが願えません。それで車は大丈夫ですと仰言るお寺に決まります。

今、弥陀本願は仕遂げられ、成就せられたと仰せです。仏土の功徳・仏の功徳・菩薩の功徳と、万全を期した誓願を、功徳力十分に満たし切ったと仰せです。ナンマンダ仏と生死煩悩の命に来たって、大丈夫まかせておけと仰せです。ナンマンダ仏と仰せです。

深川倫雄和上の或る日のお話に、”聞く一つと言うが、そうではない。仰せ一つですよ”と、ここの所を告げて下さいました。


藤岡 道夫