親鸞聖人七十才代から 42
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親鸞聖人七十才代から、八十才代後半まで莫大な量の”うた・ご和讃”が、まるで織物のように紡ぎ出されています。
古く平安時代からご在世の鎌倉時代まで、世間の人の口に乗る”うた”の様式がありました。今様、つまり流行り歌です。
その流行のうたの形を利用して、お経や七高僧の論・釈の漢文の語句を日本語の用語でもって和らげられます。それは、み仏やお浄土の功徳であり、また七高僧さまの発揮(おてがら)というべき教示が、言語(ことば)の限りを尽くして顕されています。
弥陀の仏力・功徳力を身一ぱいに孕む喜びの聖人が、その領解をもっておみ法の義(こころ)を織りあげられ、み教えの意(こころ)を縫い取られ見事な文模様を仕上げられました。
浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃、この和語のご本典といわれる三帖和讃、合計三百五十三首。他に聖徳太子讃嘆のご和讃、百八十九首等、質も量もわが国の歴史に類を見ないもの。まさに”ご開山聖人、ご出世のご恩”と仰がれます。
ところで浄土高僧和讃撰述を終えられて、その奥書きに”宝治二年一月廿一日、釈親鸞七十六才、之を書き畢(おわ)る”と記(したた)められています。
”百億劫の年月、百億劫の舌を出して、一々の舌の上に無量の声を載せて、み仏の功徳を讃えたとしても、到底、讃え尽くすことかなわず”というお経の文言(おことば)です。
この称讃浄土教は、ご本典・教行信証の中に引かれていません。という事は、浄土高僧和讃を作られる七十六才当時、聖人が初めてごらんになって、感激の中に味読されたのでありましょう。絶えまないご研究の様子が偲ばれます。
藤岡 道夫