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幼い子供が泣いています 18

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幼い子供が泣いています。声を限りに泣いています。じれ切っています。泣いている子供の傍らには母親がいます。あれほどじれて泣く子なのに、なんとか声をかけてやればいいのに。

傍(はた)迷惑なこと、うるさくってしょうがないとふとみると、子供に寄り添うた母親は、しきりに指を動かしています。なんと手話・手ばなしでもって子供をなだめるのに懸命なのです。耳が不自由なため声を出してお話が出来ないお母さんです。

耳が聞こえぬばっかりに、この子が訴えていることに気付くのが遅かったのでしょう。じれきった子は、仲々お母さんのなだめに静まりません。

よくみると一生懸命手話をしているこのお母さん、頬を涙が伝わります。たえ間なく流れてやみません。しかし涙して、そして満々たる慈愛の思いを顔に集めてほほえみます。

泣きわめく 子にほほえみて 手話をする 母あり頬に 涙流れいき

これは朝日新聞に載った短歌です。 子供の訴えを聞きとどけてやれぬ母は悲しい。声をもって話をしてやれぬ母はつらい。子供がふびんでなりません。善処(ありったけ)の方便(てだて)もつきる思いから母は涙します。それでも慈愛は止みません。ありったけのやさしさを満面に集めてほほえみ続けます。

木村無相氏の念仏詩があります。

念仏は うちあけ話 如来さんの うちあけ話 どうぞ 助けさせておくれよと 如来さんの うちあけ話

そうです。命は一人。一人きり。孤独の命の裡に分け入って、添うて離れずいて下さる。ナンマンダ仏の親さま。今ご一緒していてくださいます。


藤岡 道夫