本願寺第三代覚如上人の仰せに 11
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本願寺第三代覚如上人の仰せに”如来の大悲、短命の根機を、本としたまえり”とあります。臨終命の際の者こそ、急ぎ救わねばならぬと、阿弥陀さまがナンマンダ仏のお慈悲のおすがたに現れて来て下さるとのお示しの言葉です。
余命いくばくもない命は、精神的にも肉体的にも訓練を受け続ける力はない。たとえ力があったとて充分な時間の残りはもはや有りません。
それが短命の者、命の際に臨む者なのです。そこには、教育していく時間の余裕も能力を開発してなどという見込み一つ立たない命を、取り込んで諸有衆生(あらゆるもの)を救う方便(てだて)が仕上がりました。
ナンマンダ仏、そこには身構え・気構え・体力・気力・全く見込めぬ命こそと、お慈悲きわまるところから聞こえて下さる声の如来さまがいただかれます。
さて再び法友・広兼至道君の話。 骨髄ガンの末期症状をこまかに説明をうけ、あと一月の命とも自ら承知して彼が語りました。
”真宗関係のいろんな雑誌を見舞いに貰う。然しどの文章にも大方、阿弥陀さまがおいでになりません。この世に五年も十年も生きとって、ゆるうっと読んで理解すりゃええ程度のことばかり書いてある。悠長なことです。私はあと一月長いこたぁない私には間に合う文章ではないですよ。
そこはさすが如来さまです。私を見込んで組み込んで、ナンマンダ仏五体一杯満ちて来ておいでですもんね。ナマンダ仏のお助けは、今日が目的ですもんね。極めつけの短命の機、私がお眼当てです”とお称名しきりでありました。
藤岡 道夫