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人間国宝の紙塑人形作家 14

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人間国宝の紙塑人形作家でアララギの歌人・鹿児島寿蔵先生に、


”母ありき その母ありき 父ありき その父ありき その父母ありき”

という歌があります。母上が逝かれお祖母さまももうありません。父上も又既になく、お祖父さまも早逝かれました。もちろんその親、ひいお祖父さま方もとうに逝き給うた事でした。

母ありき その母ありき 父ありき その父ありき その父母ありき

血を分けて情を分け合うて偲ぶ思いは、遠い祖先(おや)たちまで遡ります。

然し世に在る者の悉く、がやがて命終、命の際を迎えそして終わります。この事に代理を務める者なく、更に伴う連れはなく、全く個別に行われる生死界の厳然たる事実です。寿蔵先生は又、”母は母の 行くべき処見ゆと言いき 臨終に逢わずとも よしと言いにき”とも歌われました。

お母さんが仰言る。私はお浄土に参ります。命の際に寄り添おうと駆けつけても間に合わぬ別れもあります。然し阿弥陀さまのお浄土は、極楽とまで呼ばれて再びの出会いが御用意されています。南無阿弥陀仏の命はまぎれもなくお浄土に往生遂ぐべき希みを持って安堵の身なのです。臨終の出会いかなわずとも、念仏申し合うお互いは、必ずやきっとお浄土の出会いをいたします。

お父さんが参られたのはもちろん小さい時、死んだあなたのお兄ちゃんになるあの子もお浄土に参らせてもろうてます。

命、はかのう逝った幼い体を抱いて泣きました。止まらぬかと思う程の涙の中からお導きお育てを聞きました。あの子はこの母をお法に導く尊い命の子でありましたと。これは正しく大経の”咸(みな)一類に同じ”そして阿弥陀経に説かれる”倶会一処”のお心です。


藤岡 道夫