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私の生れ在所 55

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私の生れ在所、福岡に硬いウドン、並のウドン、軟らかいウドンなどと、お客の注文を受けるウドン専門店があります。それでもウドンの素材・原料は、小麦粉であることに違いありません。硬かろうと軟らかかろうと、ウドンは小麦粉以外の何者も含まず、小麦粉で成り立つのがウドンです。

阿弥陀さまのご本願は、凡夫衆生を素材とし内容(なかみ)にして成立しております。

何時が始まりと知れぬ命の連なりの間中、無明煩悩によって迷い続け、雑多(さまざま)な苦しみに縛られて、清らかな心境とてなく、また元来まことの安堵がない。

この衆生が捨ておけぬ。この凡夫、きっと助くる。必らず救うとお誓いの如来さま、大誓願のふところに瞬時片時も、凡夫私を離さずして、功徳のすべて善根のありったけが、ナンマンダ仏に持ち込まれます。

体力も精神も要りません。身構え気構え一切無用に、ナンマンダ仏を仕遂げられます。まさしく凡夫を見込み取り込んで結実した、ナンマンダ仏です。

たとえ寝返り一つかなわず、吸い呑みの水一しずくが、喉許をこしかねる衰えきった命にも、ナンマンダ仏の如来(おや)さまが、入り満ちて給うて離れずご一緒して下さいます。

深川倫雄和上は”衆生凡夫の実状が、本願を激発した”と、おっしゃいます。

また”ウドンは、長うても短うても、端から端まで、隅から隅まで小麦粉ばかり。阿弥陀さまは、覩見・発願・思惟・修行、そして名号成就(ナンマンダブツのおしあげ)に及ぶまで、中味は全部、凡夫へ凡夫へと、大悲のご廻向。まさに凡夫だらけの阿弥陀さま、衆生だらけの如来(おや)さまです”と、常にお聞かせであります。


藤岡 道夫