操作

親鸞聖人八十四才 4

提供: Book

2009年7月29日 (水) 13:51時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (1 版)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)


親鸞聖人八十四才、五月二十八日付けの手紙が今に残ります。関東の老同行・覚信房に宛”命候はば、必ず必ず上らせ給うべく候”と京都へ上ることを促されています。

この便りの翌二十九日”自今巳後は、慈信におきては、子の儀思いきりて候なり”として、お法の乱れを静める処置の為、お子様・善鸞さまの絶縁の手紙を記められました。

この悲しみの報せと上京を待たるるお便りと併せ見て、覚信房たまりません。患いの身を押して旅立ちます。 ”同じくば み許にて終り候はば、終り候はめ”同じこの世の命終わるのも、お師匠さまの膝元ならば本望と上り着きました。

失望落胆、何事も手に付かぬ有様のお師匠さまかと来てみると、正像末和讃のご述作、言語文字の極限を磨き吟味を尽くされます。 また、法然上人のお話がまとめられます書物、西方指南鈔のご執筆に没頭されています。 壮絶な仏恩報謝の営み、崇高な師徳讃仰のお姿であったのです。

聖人お書き上げの西方指南鈔と、この折り覚信房書写のものと二つ、今も保存され国宝とされています。 やがて覚信房は、八十六才になられる聖人にお看とり頂き往生の本懐を遂げますが、臨終に聖人に申述べます。

”喜び既に近づけり、存せんこと一瞬に迫る。刹那のあいだたりとも、息の通わんほどは、往生の大益を得たる仏恩を報謝せずんばあるべからずと存ずるについて、かくは称名仕るなり”と、正しく領解・往生成仏の大慶喜・大安堵から、今生の命最後の一息まで、ご恩報謝のお称名しきりに絶えません。 その傍らに添はるる聖人の頬を流れる涙は、とめどなかりしと伝えられています。


藤岡 道夫