「朝日新聞歌壇の選者・島田修二氏 111」の版間の差分
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2009年7月29日 (水) 13:54時点における最新版
朝日新聞歌壇の選者・島田修二氏には、麻痺のため歩みが不自由なお子さんがお有りのようです。その病む子を伴い生きる状況を、真向から見据える一群の歌の作品を見ます。
おぼつかない足どりで、かろうじて父親の胸までたどりつく病む子にとって、これは難事、大事業です。そしてまた、この極めて弱い無力な命の子を見守っていて、父親にとって全身を傾けるほどに、これは重大事でもあります。
父の胸を目指し、たどたどしく足を運んで十数歩、ようやくにして胸にきた子を、がっちり抱いた瞬間は、途方もない一大事が集約して完結し、成就したとも言うべきもの。ここに親行なるものがあると見られます。
跛(ひ)行して 十数歩を来し 子を胸に 受けとめしとき 一つこと畢(おわ)る
と島田氏は、ここをこのように詠みました。 今、阿弥陀さまを聞きます。煩悩の営みにとどこおり、業苦の暮しをさばきかねている生死(まよい)の命の私を、丸ごときっかりお慈悲の裡に蔵(しま)いこんでくださいました。
善根を集約し、功徳を完結するナムアミダ仏の如来(おや)業は成就しました。私のこの口、この声にかけお称えするナンマンダ仏に、現われ来てくださいました。
親鸞さまに、ここのところをうががいます。 物の重さを計る計量器・秤には、持ちかける物の嵩・分量に見合って、キッチリ等量、それが目盛りに現われる。
弥陀の正覚(おさとり)の善徳の総分量が、秤の目盛りに移るほどにして、私の命の裡に満ちてくださいます。ナンマンダ仏とお称えするまんま、弥陀正覚、大善大功徳を持(たも)つのです。
藤岡 道夫