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「今日はどこにも出かけぬ我と 78」の版間の差分

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(1 版)
(相違点なし)

2009年7月29日 (水) 13:54時点における版


今日はどこにも出かけぬ我と 知りてより 妻は炬燵に 居眠り始む

これも西村光次氏の歌。西村さんが農業を辞めて、老後を過ごそうとし始めた頃、奥さんの眼が悪くなり、やがて視力は失われます。

夫婦の間の常として、夫の最後の看取りをし、そうして後、妻が逝く。これは、言わず語らず、連れ添い続けた夫婦・互いの胸に含んだ思いであるにちがいない。それが、いたわり合うていこうという矢先、妻は視界を失い患う身となった。も早、妻に看護を希むべくもない。そこを

おそらくは 盲の妻に 看取らるる ことなく死なむ われと思へり

と、西村さんは歌うています。 にわかに視力を失うた身では、家の内の日々の起き臥しにすら、不安が伴い、何かにつけておびえる思いが離れませぬ。

万事、夫にすがって、その手を探り声を求めて明け暮れます。いじらしいまでの容子。今、妻は炬燵なあって居眠る。これとて、夫が今日は外出はせぬと承知して、はじめて安堵した姿。

そうか、お前の胸のその中は、俺が傍らに居て初めて和らぐのか。お前の今の寝息は、俺がこうしておることで、安らかなのか。うん、お前がこの世に居る間、その胸の中一ぱいの、安堵の思いが続くよう俺は離れはしない。そんな歌の心が聞こえます。

ナンマンダ仏の親さまが、悲しみの心に来てくださいます。命のおびえの胸に来て、独りにしてはおかないと、お宿り下さいました。縺れの悩みに耐え得ぬ心に分け入って、孤独じゃないよ、ずうっと一緒していよう、とナンマンダ仏の如来(おや)さまが、離れず同居して下さいます。


藤岡 道夫