「今日はどこにも出かけぬ我と 78」の版間の差分
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妻は炬燵に 居眠り始む | 妻は炬燵に 居眠り始む | ||
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夫婦の間の常として、夫の最後の看取りをし、そうして後、妻が逝く。これは、言わず語らず、連れ添い続けた夫婦・互いの胸に含んだ思いであるにちがいない。それが、いたわり合うていこうという矢先、妻は視界を失い患う身となった。も早、妻に看護を希むべくもない。そこを | 夫婦の間の常として、夫の最後の看取りをし、そうして後、妻が逝く。これは、言わず語らず、連れ添い続けた夫婦・互いの胸に含んだ思いであるにちがいない。それが、いたわり合うていこうという矢先、妻は視界を失い患う身となった。も早、妻に看護を希むべくもない。そこを | ||
− | おそらくは 盲の妻に 看取らるる | + | おそらくは 盲の妻に 看取らるる<br /> |
ことなく死なむ われと思へり | ことなく死なむ われと思へり | ||
− | と、西村さんは歌うています。 | + | と、西村さんは歌うています。<br /> |
にわかに視力を失うた身では、家の内の日々の起き臥しにすら、不安が伴い、何かにつけておびえる思いが離れませぬ。 | にわかに視力を失うた身では、家の内の日々の起き臥しにすら、不安が伴い、何かにつけておびえる思いが離れませぬ。 | ||
2009年7月29日 (水) 18:39時点における最新版
今日はどこにも出かけぬ我と 知りてより
妻は炬燵に 居眠り始む
これも西村光次氏の歌。西村さんが農業を辞めて、老後を過ごそうとし始めた頃、奥さんの眼が悪くなり、やがて視力は失われます。
夫婦の間の常として、夫の最後の看取りをし、そうして後、妻が逝く。これは、言わず語らず、連れ添い続けた夫婦・互いの胸に含んだ思いであるにちがいない。それが、いたわり合うていこうという矢先、妻は視界を失い患う身となった。も早、妻に看護を希むべくもない。そこを
おそらくは 盲の妻に 看取らるる
ことなく死なむ われと思へり
と、西村さんは歌うています。
にわかに視力を失うた身では、家の内の日々の起き臥しにすら、不安が伴い、何かにつけておびえる思いが離れませぬ。
万事、夫にすがって、その手を探り声を求めて明け暮れます。いじらしいまでの容子。今、妻は炬燵なあって居眠る。これとて、夫が今日は外出はせぬと承知して、はじめて安堵した姿。
そうか、お前の胸のその中は、俺が傍らに居て初めて和らぐのか。お前の今の寝息は、俺がこうしておることで、安らかなのか。うん、お前がこの世に居る間、その胸の中一ぱいの、安堵の思いが続くよう俺は離れはしない。そんな歌の心が聞こえます。
ナンマンダ仏の親さまが、悲しみの心に来てくださいます。命のおびえの胸に来て、独りにしてはおかないと、お宿り下さいました。縺れの悩みに耐え得ぬ心に分け入って、孤独じゃないよ、ずうっと一緒していよう、とナンマンダ仏の如来(おや)さまが、離れず同居して下さいます。
藤岡 道夫