操作

「人並みに 87」の版間の差分

提供: Book

 
(1 版)
 
(相違点なし)

2009年7月29日 (水) 13:54時点における最新版


人並みに、私も印刷の名刺を持ってます。一つは浄土真宗本願寺派・大光寺とし、今一つは、大光寺住職・本願寺派布教使・藤岡道夫として、立場を明かすほどのものです。

ところで、頂く名刺にはずいぶんの肩書きを並べておいでのものがあります。身の素性を示されるのでしょう。いつぞや、元なになにと、すでにとっくにお辞めになった役職を誇らしげに入れておいでのを見て、ずいぶん可笑しく思ったことです。

昔武士たちは、たとえば長州毛利家々来、何の某(なにがし)と名告(なの)り、役目の上ともなると自ら役職をつけて、身分を明かしたことと思われます。 その武士も主家を離れ、家禄を失い浪人しますと、武芸・学問に秀いでた者以外、身分・地位そして収入も家も失います。こうした、いわば失職中の浪人を卑しめて、素浪人などと称したようです。

西念寺・深川倫雄和上がある日、 ”ウドンは、テンプラウドンもあれば、肉ウドンもある。ところが、ウドンの他に、実や具を一切入れず、ただウドンに汁だけかけたものがある。これを素ウドンという。私の元の素性といえば、肩書き一つ持たぬ、いわば素凡夫だった。それが今や素凡夫ではない。この体、この命に充満して、如来さまがお宿りです。お覚り全体の仏智・仏力を挙げて、私の命に持ちこんで、ごいっしょ。何がどうしてどうして、広大きわまりもない価値(ねうち)ものですぞ”とお聞かせくださいました。

正定聚・不退転・等覚の弥勒にオナジキ位にあると、本願の行者、念仏の命をたたえて下さいます。


藤岡 道夫