「お説教に出向いたお寺で 22」の版間の差分
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2009年7月29日 (水) 13:51時点における最新版
お説教に出向いたお寺で、昨年十一月十三日の出来事を尋ねてみました。数十人の参詣の人、皆記憶がありません。この日南米コロンビア火山爆発、二万三千人の命が一瞬に失われました。然しそれが半年後の今、私共の頭にもう思い浮かびません。
他人事では私の心は動きません。他人事では私の思いは騒ぎもせず胸に湧く何物もないのです。
更にそのお説教の折り、ご主人に先立たれたという婦人にその折りのことをうかごうてみました。尋ねる私の言葉が終わるや否や、堰を切ったように話されます。山仕事から昼ごはんに戻る、自宅近くの道端に倒れられて、それが最後とか。奥さん自身は風邪で寝ていて山にはご主人独りで上がられました。
亡くなられたのは今を去る十九年前、昭和四十二年五月二十八日の十一時過ぎだったなど、実にその話は詳細をきわめそして尽きることがありません。私の心は他人事で動きませんが、血を分けた親や子供につけ、又情ある夫婦の間にはめぐりめぐって湧きくる思い、或いはたぎりたつ胸の覚えが刻まれて、何十年たっても今生の別れの記憶が失せません。
煩悩からむこと丈、たっぷり貯めこんでいる私、ナンマンダ仏と親さまが来ていて下さいます。如来さま悲願のご本意には、この私を救いにかかられる初めから、煩悩湧きたつ有様、見込んでかかられました。煩悩貯めこむ身のまま、やがてきっと終わるべき命を取りこんで離さじとかかられました。
本願功徳一切が、ナンマンダ仏に持ちこまれました。煩悩具足の私を的に来て、今もう既に、離れず一緒に居て下さいます。どうぞ、助けさせておくれよ、と名告り現れたまいます。
藤岡 道夫