驕りは人間を滅ぼし 争いは世界を滅ぼす
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世界平和は全人類の願いと言われます。しかし、現実には戦争のない日は一日たりともないようです。それはなぜでしょうか。人々の世界平和に対する考えがまちまちだからと思われます。全人類を自分の思い通りにしたいと考える人にとっての世界平和とは、誰もが自分に逆らわないことです。そのためには逆らう人や逆らう国を滅ぼす必要があります。
親鸞聖人は『教行信証』の初めに、「提婆達多が阿闍世をそそのかして頻婆娑羅王を害させたのである」と記されますが、ダイバダッタ(提婆達多)がアジャセ(阿闍世)王をそそのかしたのは、お釈迦様を葬り去るためでした。父王ビンバシャラ(頻婆娑羅)は、お釈迦様に帰依し仏教を保護されていましたので、ダイバダッタにとっては都合の悪い存在だったのです。彼はお釈迦様のいとこで、お釈迦様の弟子でした。しかし、自分はお釈迦様の弟子の誰よりも優れていると驕り高ぶって教団の乗っ取りを企てます。そこで、ビンバシャラ王を亡き者にしようと、アジャセの力を借りたのです。アジャセは父王を牢獄に閉じ込めますが、ビンバシャラ王はそれに逆らうことはなかったようです。そこで逆らえば内乱になったことでしょう。
なぜ逆らわなかったのでしょうか。それは、王がお釈迦様の教えを聞いて驕りの心を持たず、争いを望まなかったからであります。『教行信証』では、アジャセの罪として「一つには父である王を殺したという罪であり、二つには、聖者の位に達していた王を殺したという罪であります」と記されています。ビンバシャラ王は聖者の位に達していたのですから、殺されようとも争いを起こすことはしなかったのでありましょう。
ところで、後に権力を手に入れたアジャセは罪の報いによる地獄への道を恐れ苦しみます。そして、もっとも罪深いダイバダッタは他力念仏の教えを聞くこともせず、驕り高ぶりの心を持って争いを望んだために、ついに無間地獄へと落ちていってしまうのです。
地獄へ落ちるのは誰のせいでもありません。自らの作る罪のためです。
しかし、ダイバダッタが特別の存在だということではないのです。凡夫と言われる私たちが皆ダイバダッタと同じ心を持っています。それゆえ、地球上は争いが絶えない世界となっているのです。このような私たちが救われるには、ひとえに南無阿弥陀仏の教えを聞き、他力念仏によって救われていったビンバシャラ王やイダイケ妃、そしてアジャセのように、自ら作る罪を反省しつつ人々の幸せを願って念仏申す生活をすることでありましょう。
北塔 光昇(きたづか みつのり)
1949年、北海道生まれ。
本願寺派司教、旭川大学非常勤講師、北海道旭川市正光寺住職。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。